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gently432さん のコメント

正にその通りです。どこからどこまでを古典とするかは、感性によって変わって来ますがね。
人によって、古典とは千年前かも知れないし、明治や大正時代かもしれない。
なんにしろ書き手の感性に近い先人を学ぶのは、大事なことでしょう。
特に何度も現代訳されてる百年単位の古典は、時代ごとに名著作家のブラッシュアップが成されます。
最初の頃はなんてことない、ただ新鮮なだけの物語だったりするんですけれども、
これがその時代ごとの天才の手が加わることで、「格」のようなものが確立されます。
これはたった一人の才能で成される世界じゃないので、素晴らしいと言わざるを得ません。
No.18
138ヶ月前
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結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。