小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。
しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。
先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。
それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。
それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
コメント
コメントを書く>>40
典型的な俺様最強w古いものはカスw
俺は自分で調べないし納得もしないけど、悔しかったら俺に納得できるよう、わかるように説明しろw
とか言い出すカスだなw
お前のようなヤツからは、食い応えのあるもんなんて生み出せねぇよw
だっててめぇで調べて答えをだせないウンチだからなw
この問題をだしたうp主は、十分わかりやすく説明してるぜ。
これで老害とかいうなら、お前は文学に対する害虫だw
ふむ、なるほどのう
ストーリーの原型・類型はギリシャ神話に全部現れていて、後はその焼き増しみたいなものってとまべちがいってた
古典は面白いと思うよ。
古語で書いてるものはすらすら読めないので現代語訳版で読んでるし、昔の時代の習慣みたいなものに戸惑ったり、解らなかったりするけど。
「竹取物語」なんかは、現代でいうライトノベルな作風でそんなに長くないからおススメ。
古典というのはいわば、フォーマット。
H・G・ウェルズはタイムマシンで
「退廃した未来で地上に暮らす富裕層と地下に暮らす貧困層が対立する」というフォーマットを、
カレル・チャペックはロボットで
「ただの労働力に過ぎないロボットが知性化して反乱を起こす」というフォーマットを作り上げた。
さまざまなフォーマットを習得すれば、表現の幅がぐんと広がる。
手塚治虫は古今東西の古典を読み漁って、世の中のあらゆるフォーマットを知り尽くしてたから、
気が遠くなるほど膨大な作品群を生み出すことができた。
ちなみに、勘の良い人はピンと来たかもしれないけど、
手塚治虫は火の鳥でタイムマシン、ロボットのフォーマットを拝借してる。
ラノベ作家に限らず読者も、コピーが氾濫して何がオリジナルかわからなくなってる今、
原典にふれて体系的に理解するというのは、それだけで十分意味のあることだと思う。
例えば音楽を作ろうと思った場合、クラシック・・・は聞かないとしても、クラシックから体系化された知恵を学ぶことは不可欠です。いわゆる音楽理論というアレです。
これは現代音楽や若者、大衆向けのポップスやロックを作る際にも同じです。そのジャンルごとの古典からも学びます。
ほんの一部の天才以外は必ず学びます。
しかし、歌はそうではありません。歌手になるために必ずしもクラシックから体系化された声楽を学ぶ必要はありません。ときには発声法さえ必要としません。もちろん声楽家を目指すなら必要ですが、ポップス歌手にはいらないということです。
なぜそんな違いがあるのかというと、歌は声が出せれば誰でも歌えるものだからです。下手でも歌うこと自体はできます。できてしまえばそこから自力でのスキルアップは可能です。作曲はそうはいきません。
日本において文字は誰にでも書けるものですから、小説だって下手でも書けます。書ければ古典を知らずとも自力でスキルアップできます。
それは技術という面では自己流になってしまいますから、決して文学にはなりえないものなのかもしれません。
しかし古典に学ぶ技法を必要としなくても名作ラノベにはなり得るのかもしれません。
ラノベを書くということは、音楽で言う、ポップスを作ろうということなのか、それともポップスを歌おうということなのか・・・。筆者の意見が正しいかどうかを判断するにはこの議論が必要だと思います。
もしもポップスを歌うということなら、流行の歌や好きな歌だけ歌っていてもヒットして後世に残る良い歌を歌えるようになります。
最近じゃ、悪魔や妖精系等の自作ラノベを新人賞狙いで色んな文庫に送ってる人がいるが。
担当者等はその様な類いのラノベは最初の説明を見ただけで選考から除外される。
てっとり早くまず担当者に少しでも読んでもらう方法は学園系等のドタバタ物語だ。
それでも尚、悪魔や天使や妖精や精霊等と言った物語のラノベを書きたいなら、まずはゲーテの著したファウストやダンテの著した神曲等を読んでみるといいだろう。
それらは見方を変えれば古典ラノベと言っても良い作品だ。
そこから自分のアレンジを加えてみてはどうだろうか?
ニャル子さんもラブクラフトの書いたクトゥルフ神話(もっともクトゥルフ神話の定義を作ったのはラブクラフト死後の友人が考えたものだが)も古典からのコメディーだ。
最後に、ラブクラフトは生きている時はあまり本が売れない作家だったらしい
ラノベ作家はラノベ読んで、アニメ見て書いているイメージある。
その結果大量のコピー商品が並んでいる。
いろんな芸術に揉まれる必要があるという点では、一理ある。
>>67
市場が無くなれば、そもそも小説自体が売れませんよ。そうさせないために、今まである古典の方法を学び、少ない労力で面白い作品を書く工夫を身につけようという結論で本文は締めくくられています。
後の世に面白さが認められて話題にされる古典作品(すべての作品がそうだとは言いませんが)よりも、今の時代に話題にされる作品の方が経済的に見てあり難いのではないか。というのが>>39の意見だと思います。
そして、今の世で売れなければ後の世に市場が残る可能性は少ないということは、言うまでもないことでしょう。版権を考慮すると、尚更ですね。
とりあえずこの記事、全体的に上から目線でムカつくな