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Phychopath714さん のコメント

今回のご意見には、私も大いに同感するところです。最近のラノベは、上っ面を「流行」で固めてあれば受け入れられるような風潮があるようで、物語としての骨が抜けているような気さえしています。それでも市場が成り立っていられるのは、記事でおっしゃっているように大量生産~大量消費で市場を回しているからこそ通用しているのでしょう。
それが原因とまでは思いませんが、昨今のラノベ作家志望者(ひいては一般向けレーベルでのデビューを志す一部の人)の勉強不足を助長する要因であることは言うまでもないです。その小説を読み終えた読者が「俺でも書けそう」という感想をこぼしてしまうようなものを、小説家は売ってはいけないのだという気概さえ失われてしまってはいないかと私は心配です。もっとも、気概というのもある意味間違いではあります。それは当り前の心得であるべきなのですから。
元来小説とは文学の精通者、いわゆる文士の手による希少な職種でありました。彼らの文章がお金になったのは、素人には真似のできない〝何か〟が秘められているからこそだと言えます。あなたのおっしゃっている古典で学ぶべきものとは、おそらくその何かのことであろうと私は思いました。
No.24
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。