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りゅさん のコメント

個人的な意見ですが…

文学に限った話じゃないけど、
真剣に「何かを生み出そう、面白いモノを作ろう」
と思ったら、昔の作品の研究に到る事は、至極当たり前のプロセスでしょう。
文学、漫画、音楽、映画、お笑い、ビジネス、その他諸々。
この記事は何一つ間違っていないと、私は思う。

面白い人は何書いても面白いと仰っている方がいますが、それはただの思考停止です。
それがなぜ面白いかを考えようとしない人は、往々にして面白くない人が多い(ここでいう面白さとは、この記事で筆者が使っている面白さと同様の意味です)。
当たり前ですが、人の魅力もそんなところでは決まりませんので、気を悪くしないでください。
ただそういう人は、何かを作る人ではないっていうだけの話です。

その面白さを本能で嗅ぎ取り、自分の方法で出力出来る人は、本当に一握りの天才でしょう。
No.37
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。