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体力不足一兵卒さん のコメント

概ね同意だが、まあ、実際のところは古典じゃなくても問題はないのでは。

今回はとりあえず読者の引き込み方、ひいては「面白さの法則」について言及しますが、現代の子らにとってはむしろ、名作と呼ばれる映画を分析した方が分かりやすい気がしますね。

映画には物語に引き込むために必要な物の全てが視覚的に提示されているし、そもそも少し考えれば「なぜ登場人物に感情移入したのか」だとか、「なぜこのシーンで緊張したのか」だとか、『なぜこのシーンで心が昂ったのか」だとか、もろもろが分かりやすい形で見えてくるわけですしね。

先生は何も古典に限定しなければならないと思ってはいないでしょうし、ましてや仰ってもいませんが、古典は「面白くする技能」を学ぶにはいささか分かりづらいのでは……。素晴らしい例ではあっても、読みづらくて苦手という子らが多いですし、よしんば現代語に翻訳された物を読めても、そもそもそれらの多くはオリジナルにおける『素晴らしさ」を殺している場合が、むにゃむにゃ。

 まあ、古典は技能を学べるとともに、シチュエーションを盗めるので……
No.59
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。