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ケイト=リンさん のコメント

古典って例えるなら建物の設計図であり土台なんだよね。
まあでも、設計図がなくても建物っぽいものは作れるかも知れないし、土台が無くても崩れずに建ち続けられるかも知れない。
無駄に回り道していらん苦労を背負いたいというのなら好きにすればいい。

>古典に一捻り二捻り加えたものを読んでれば古典読むより参考になるんじゃねーの
古典読んだこと無い人には、どこにどういう捻りが加えられたのか見分けがつかないでしょ?
捻ってる部分を王道の面白み部分だと勘違いしたらまずいので、まず原点を知れっていう話だね~。

つまんない作品を見て、つまんなかった時間の無駄だと思う人は読者、これを面白くアレンジすれば売れると思う人は作者。
No.78
138ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。