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メタ配向性さん のコメント

温故知新、自分より先達の作品をたくさん読むことにより、自分の作品の蓄えとすることは決してパクリではなく、むしろ、正しいことだと思う。
ゼロから新しいものを創りだそうとすることは果てしなく難しいものであるから。
ところで、古典とはなんだろう。自分の印象だと中学や高校で扱ったいわゆる江戸時代頃までの文学のことが頭に浮かぶ。
そして、その時代移行の文学はどうやら古典としては認められないようだ。
この記事から受ける印象だと、古いものほど長く評価されていたのだから価値が高いという印象をどうしても受けてしまう。
しかし、本に完成形は存在するわけがなく、現代になって再評価された古典も少なくない。
自分は、古典ではなく、本の発表された時代、作者の立場、その本に対する現在の評価などにこだわらず、片っ端から乱読すべきだと考える。 
そうやってたくさんの本に出会っていくうちに、より洗練された面白さの法則が自然に自分の中に形作られていくだろうと。
No.89
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。