• このエントリーをはてなブックマークに追加

ジュン兄さん のコメント

古典というのはいわば、フォーマット。

H・G・ウェルズはタイムマシンで
「退廃した未来で地上に暮らす富裕層と地下に暮らす貧困層が対立する」というフォーマットを、
カレル・チャペックはロボットで
「ただの労働力に過ぎないロボットが知性化して反乱を起こす」というフォーマットを作り上げた。

さまざまなフォーマットを習得すれば、表現の幅がぐんと広がる。
手塚治虫は古今東西の古典を読み漁って、世の中のあらゆるフォーマットを知り尽くしてたから、
気が遠くなるほど膨大な作品群を生み出すことができた。
ちなみに、勘の良い人はピンと来たかもしれないけど、
手塚治虫は火の鳥でタイムマシン、ロボットのフォーマットを拝借してる。

ラノベ作家に限らず読者も、コピーが氾濫して何がオリジナルかわからなくなってる今、
原典にふれて体系的に理解するというのは、それだけで十分意味のあることだと思う。
No.96
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。