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NONchan15さん のコメント

例えば音楽を作ろうと思った場合、クラシック・・・は聞かないとしても、クラシックから体系化された知恵を学ぶことは不可欠です。いわゆる音楽理論というアレです。
これは現代音楽や若者、大衆向けのポップスやロックを作る際にも同じです。そのジャンルごとの古典からも学びます。
ほんの一部の天才以外は必ず学びます。

しかし、歌はそうではありません。歌手になるために必ずしもクラシックから体系化された声楽を学ぶ必要はありません。ときには発声法さえ必要としません。もちろん声楽家を目指すなら必要ですが、ポップス歌手にはいらないということです。
なぜそんな違いがあるのかというと、歌は声が出せれば誰でも歌えるものだからです。下手でも歌うこと自体はできます。できてしまえばそこから自力でのスキルアップは可能です。作曲はそうはいきません。

日本において文字は誰にでも書けるものですから、小説だって下手でも書けます。書ければ古典を知らずとも自力でスキルアップできます。
それは技術という面では自己流になってしまいますから、決して文学にはなりえないものなのかもしれません。
しかし古典に学ぶ技法を必要としなくても名作ラノベにはなり得るのかもしれません。

ラノベを書くということは、音楽で言う、ポップスを作ろうということなのか、それともポップスを歌おうということなのか・・・。筆者の意見が正しいかどうかを判断するにはこの議論が必要だと思います。
もしもポップスを歌うということなら、流行の歌や好きな歌だけ歌っていてもヒットして後世に残る良い歌を歌えるようになります。
No.97
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
結論からいうと、それは「小説の絶対的な面白さ」を学ぶためである。 小説には、「絶対的な面白さ」がある。それは、ぼくが40年間、小説についてのさまざまなことを学んできた中で、知ることのできた真理の一つである。 しかしながら、この考え方はなかなか共有されていない。特に、若い人に共有されていない。 先日も、とあるラノベ作家志望の若者と会う機会があって、「何かアドバイスはありますか?」と尋ねられたので、「古典を読むことだ」と答えたのだが、分かったような分からないような顔をされた。 それで、「古典を読むのは嫌いですか?」と尋ねたところ、「ぼくの書きたい小説は、現代の読者に訴える新しい小説なので、古典を読んでも意味がないと思ってしまう」ということだった。「それ以前に、そもそも古典に全く興味がないので、読むことそのものが苦痛である」とも言っていた。 それでぼくは、(もちろんそう思うことは自由なのだが、それでは作家
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。