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あくせすさん のコメント

なんだろうな。全く関係ない明後日の反論してる人がチラホラいる気がするなぁ。
そんな人こそ選り好みせず漫画だろうがラノベだろうが小説だろうが色々読んだ方がいいと思うんだ。

最終的に書いてあることは今後も発展するために、論理的にラノベを面白くする方法を考えるってことかな?
感性を刺激することによって売れるジャンルを論理的に考えるのは欠点の方が多い。
それをやって音楽は大きく衰退した。
感性にも人それぞれ個人差があり、少しの差を差として感じられない人もいる。
似たような物を繰り返し与えられると多くの人は感覚が麻痺して面白いと思わなくなる。
そんな中だから、色んな意味で判りやすく異色であるボカロが本来されるレベルの評価を大きく超えて評価されたのではないか?
90年代にボカロが登場しても見向きもされなかっただろう。
ラノベも最近はそういう風潮がみられる。
似たようなタイトル、似たような文章、似たような設定。
もちろんそれが全て悪いということではない。
今まで積み上げてきた文化にはそれ相応の重みがあるし、多くの人に受け入れられやすい。
しかし、だからといってそれだけになってしまっては意味がない。
全ての作品を売りたいと思うのは当然のことなのかも知れないが、それではラノベの未来も明るいとは言えない。
No.75
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
こういう問いかけ方をすると、「そんなの当たり前じゃないか」という反論がいくらでも聞こえてきそうだが、ぼくがここで問いたいのは、「これだけエンターテインメントが溢れかえっている世の中で、今後もラノベ、あるいは小説という表現形態に、生き残る道があるかどうか?」ということである。 今の世の中は、面白いもので溢れかえっている。エンターテインメントだらけだ。 なぜそうなったかといえば、科学の進歩で人間の「余暇」が増えたからだ。自由な時間が増えた。 これは、一見喜ばしいことのようだけれども、そうでない部分もある。というのも、人間は「暇」に耐えられないからだ。暇になると気が狂ったり、悪い時には死んだりもする。「暇」というのは、人間にとって祝福であると同時に呪いでもあるのだ。 だから、暇があるからといって単純に喜べない。暇があれば、それを「潰す」必要が出てくる。 そうして、高度経済成長期以降、日本人の暇は増えるばかりだった。それを潰す必要性から、エンターテインメント産業はどんどんと成長してきたのだ。 さらに、日本人の暇は今後も増えることが予想される。だから、エンターテインメント産業も、ますます成長が見込まれているのだ。 だとすると、ラノベの未来は明るいんじゃないか? そんなふうに思うかも知れないが、ことはそう単純ではない。 というのも、成長産業には多くの人が群がってくる。そうして、そこで必然的に競争が起きる。競争が起きると、勝者と敗者とに色分けされる。そして敗者に組み込まれてしまうと、そのジャンルごと消えてしまう可能性があるのだ。 表現のジャンルが消えたり、消えないまでも衰退することはよくある。 例えば、「写実的な絵画」というジャンルは、消えないまでも大いに衰退した。それというのも、写真機ができたからだ。 写真機ができるまで、絵画というのは「いかに写実的に描くか」ということが勝負だった。だから、多くの画家が写実的に描くことを競い合った。そのため、写実的に描く技術が発達し、写実的な絵画の傑作がいくつも生まれた。 しかし、写真機が発明されたおかげで、写実的に描く絵の価値がうんと下がった。いくら写実的に描いても、写真機には適わなかったからだ。 そうして、写実的な絵画を求める人は減り、ジャンルとしての衰退を余儀なくされた。 「小説」という表現ジャンルも、かつてと比べると衰退の憂き目にあることは疑いようがない。 19世紀、大衆娯楽というのは演劇か小説くらいしかなかった。そのため、小説という文化はおそろしく発達した。小説の傑作というのは、だいたい19世紀に集中している。 しかしその後、エンターテインメント産業に新しいジャンルが次々と参入してくる。映画、ラジオ、音楽、テレビ、マンガ、ゲーム……。そうして小説は、今ではそれら数あるジャンルの一つに過ぎなくなった。いや、他のジャンルに比べると、不利な点がいくつも見受けられる弱小ジャンルに成り下がった。 最も不利な点は、「字を読むのが面倒くさい」ということだろう。小説というジャンルは、他のジャンルに比べると、「消費するのが手間」というハンデキャップを持っているのだ。 もう一つは、「想像力を必要とする」ということである。 例えば、SF小説で異世界を説明する時、読者は、脳内でその映像を再現する必要がある。しかしこれは、なかなか骨の折れる行為だ。 それに比べると、映画やマンガは絵を伴うので、想像がとても容易である。だから、想像力の足りない人は、どんどん映画やマンガに流れていく結果となった。 ラノベも、そういう部分を補うために、挿絵などをふんだんに盛り込むことで、読者の想像力を助けようとしてきた。しかし、この方式を押し進めると、そのうち「ではマンガでいいでは?」ということになり、ラノベの存在理由が薄くなる――というかなくなる。 だから、もしラノベ(小説)が今後も生き残っていくためには、小説独自の、他にはない面白さ、他にはない強みを前面に押し出していく必要があるのだ。 ではラノベの他にはない強みとは何か?  
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。