というわけで、今回は同監督の最大のヒット作である「千と千尋の神隠し」を取りあげてみたい。
「千と千尋の神隠し」は、日本で一番ヒットした映画である。その興行収入は304億円というとてつもないもので、2位の「ハウルの動く城」(この作品も宮崎監督!)の196億円を大きく上回り、これを破るものは当面現れないだろうと思われる。
そのため、この映画はこれまでさんざん語り尽くされてきた。その意味で、この映画について今さらつけ加えることは何もないようにも思われるが、今回は、この映画と観客とが取り結んだ関係性と、そこから見えてくる「映画のヒットした要因は何か?」ということについて、考えたことを書いてみたい。
「千と千尋の神隠し」のコンセプトは、比較的簡単だ。元気のない現代の女の子がいて、その女の子が元気になるためにはどうすればいいか?――というものである。それを、主人公の姿を通じて描いたのが本作だ。
このコンセプトへの多くの人の共感が、ヒットの要因であることは想像に難くない。
現代人は、現代生活に快適さを感じながらも、一方で、子供たちの元気がなくなったことを憂えている。他ならぬ子供たち自身が、自分たちが元気がないことにそれとなく引け目を感じている。
だから、元気を必要とし、元気が出る映画を見たい――そういう集合的無意識のようなものが、世間にはあったのである。
これをすくいあげることは、簡単なようで難しい。というのも、こうした問題はすでに世間で喧しく議論されていて、クリエイターが今さら取りあげるまでもない……とつい思ってしまいがちからだ。
特に、ワイドショー的なマスコミでは、通り一遍の「現代の子供は元気がない」説が跋扈している。クリエイターは、通常そういう説には乗っかることをためらう。彼らは、もっとアバンギャルドな方向に行くことが自分たちの価値だと考えがちで、それは宮崎駿監督のような超一流のクリエイターとなるとなおさらだ。
だから、こういう映画はえてして作られないことの方が多いのだが、それではなぜ宮崎駿監督がこれを作ったかといえば、それは彼の「作り方」に秘密がある。
宮崎監督は、まず世間で喧しく議論されているような問題には「全く」コミットしないようにしている。少しも見ないようにしているのだ。そのため、「世間で喧しく問われている問題」に対するアレルギーというものが、そもそも低いということがある。
だから、「子供たちを元気づけよう」という、ある意味ありふれた命題にも、真正面から取り組むことができるのだ。それが世間で喧しく取り沙汰されているという認識がないので、あえて遠ざけるようなこともしないのである。
次に、では宮崎監督は、どのようにしてこの問題を知り得たか?――ということだが、これは、マスコミなどの二次情報で得るのではなく、実際に子供たちと触れ合った一時情報として得ている。そこで「子供たちに元気がない」という情報を、独自にすくい取っているのだ。
宮崎監督は、ある時、身近にいた女の子に元気がないことに気づいた。そのため、彼女を元気づける方法はないかと考えたのでる。このシンプルな構造こそが、こうしたテーマに取り組むことの動機となった。
こういう作り方は、実は古今東西の名作に数多い。
例えば、