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clovisさん のコメント

シリーズの長いゲームでも良くある事だけど、FFなんかは毎作システムとかが大きく違うから、FFに対する勝手なイメージや前作と比較して粗探しをして駄作扱いする方が多いですね。
でも、FF1と2ですら全く違う方向性(3は1とも2とも違うジョブチェンジシステム)なんだから、それを楽しむしかないし「シリーズ」としても「単品」としても見て遊んで見ないとダメだと思う。
それに、各シリーズに「これが一番FFで好き!」という方が必ずおられます。

同じ人が作った映画でも「単品」としてちゃんと見ないのはダメだと思う。「宮崎駿さんの作品だから見ました」という方は今まで作ってきた作品を完全に「シリーズ」として見ていて、これからもずっと同じような作品を作っていくと思い込んで、それによって「単品」を見る視力が失われていると思います。映画は作品によって作風が違うのは当たり前なのにブランドのせいで自由に作れば批判されてしまいますね。

まぁFFも宮崎駿さんもそうですが、結局はブランドだけで集客できてしまうのはローリスクハイリターン(駄作でも最新作は必ず売れる)なんですよね。だからこそブランドのイメージに作品を合わせたり、期待に答える事ができなければ批判されても仕方ないとも考えられますね。ただ宮崎さんの作品には必ず影というか裏の部分が見えるので、ただ明るいというイメージはないですが。
No.62
138ヶ月前
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注:この記事はネタバレを含みます。 宮崎駿監督の最新作である、映画「風立ちぬ」が公開された。 ところが、その話題の大きさと人気の高さによってか、批評する人は褒める人も貶す人も(特に貶す人)、ほとんど浮き足立ったヒステリックなものになってしまっている。もっと直裁に言えば「見当違いなもの」になってしまっている。この映画が冷静に評価されるには、少なくとも10年は冷却期間が必要なのではないか――そんなふうにも思わされる。「千と千尋の神隠し」もそうだったが、この映画も、誰も冷静に批評しようとしないのだ。 そこで今回は、この映画を見た人がいかに冷静さを欠いており、その結果見当違いの批評をくり広げているかというのを、「超映画批評」というサイトに掲載された記事をサンプルに見ていきたい。 超映画批評「風立ちぬ」40点(100点満点中) 冷静さを欠いた批評その1 「勝手な予断を抱き、それが裏切られたことに対して恨みを抱く」 「この夏、どころか本年度ナンバーワン候補筆頭である本作は、「紅の豚」(92年)以来の飛行機映画ということで、強く期待されている。何しろ宮崎駿監督が無類の飛行機マニアであることは、いまや一般の人でも知る有名な事実。本作も監督の趣味全開、伸び伸びと作った楽しい作品になるだろうと思うのは当然だ。しかし、そんな風に素朴に期待する人にとって本作は強力な地雷になりかねない(「超映画批評」より抜粋)」 「宮崎駿監督が無類の飛行機マニアである」というのは、どうやら「有名」なことらしい。確かに、これまでの作品には、飛行機が印象的に登場するものが多かった。 しかしそのことをもってして、「風立ちぬ」が「監督の趣味全開、伸び伸びと作った楽しい作品になる」というのは、けっして「当然」なことではなく、評者の身勝手な「予断」というべきものだろう。 第一、映画の制作者たちは、作品の前宣伝で、むしろそうしたイメージを払拭することに取り組んでいたくらいだ。なにしろ、監督自らが、飛行機好きが勝手に抱く堀越二郎像を否定するような映画になる――と言明しているのだ。 それにもかかわらず、「伸び伸びと作った楽しい作品ではなかった」と怒り出すのは、言いがかりもいいところだ。そんな子供じみたことを平然と言ってのけられるほど、評者は冷静さを欠いているのである。 冷静さを欠いた批評その2 「映画を見るための知識が不足している」  
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。