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納豆からしさん のコメント

競争力がない……というのはどうなのか。
学校受験、就職活動、別に、ゆとり世代でもこういったものにさらされて、若いうちから徹底して競争させられて
きた人もたくさんいるというのに。ただ、世代だとかそういう理由で失敗例にされ、プロトタイプ的な扱いをされるのも
かなりゆとり側としては腹立たしい話だろう。
実際、この世代である私は腹立たしい。
環境的差異も多大にあるというのに、その年代の人間だからと言う理由で失敗者とみなすのはどう考えてもおかしい。
仕事ができない、というのも、要は教育や経験の差で決まると、この記事の中で語られている。
それと、現在の教育、つまり脱ゆとりにもさまざまな問題があって、(例えばハッピーマンデー制度における
月曜授業に当てられがちな芸術科目の希薄化等)すべて丸く収まっていくわけではない。
結局のところ、脱ゆとりで日本が復興すると考えるのも、かなり短絡的発想である。
何を持って復興となすか、まずはそれを指針として定めないうちには、
バブル世代はダメだ、ゆとり世代はダメだ、などと言う押し付け論的な話で片づけられて終わりであると、
私は考える。
No.13
137ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
ぼくはお笑い養成所の講師をしたり、所属している事務所に大学生がインターンで来ていたりする関係で、二十歳前後の若者と接する機会は比較的多い。そんな中で、いつも何度でも痛感させられるのが、やっぱり「ゆとり教育」というものの存在だ。若者の中に独特の「ゆとり」を感じてしまって、いつも歯がゆい思いをさせられる。「そんな考えでこの先、生きていけるのだろうか」と、何度でも心配させられる。 そんな矢先、ある人から「ゆとり教育は、実は成功だった」という話を聞いた。それで、初めは訝しさ半分に聞いていたのだけれど、そこで展開されたのは驚くべき論理だった。 そこで今回は、その人の考え方を紹介することで、「ゆとり世代」のこれからというものについて考えてみたい。 ゆとり教育がいつから始まったのかというのは、段階的に進んだので議論の分かれるところなのだが、ここでは便宜的に土曜日が休みになった頃合いの1995年とする。そして終
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。