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(η´ω`)ηレナだよー。さん のコメント

この映画を見たことでようやく、三島の『豊饒の海』は『竹取物語』を下敷きにしているのだという事に気づきました。
『かぐや姫の物語』も『豊饒の海』も庭というものを重要視しており、それが最後に出てくる点は興味深いです。
前者では終盤、一度主人公が否定した作り物の庭がきらりと光って元に戻っているシーンがあったように思いますが、あれはどういう意味なのかが気になりました。
とりとめもないコメントで、すみません。
No.2
132ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
映画(動画)というものが発明されて100年余りになるが、その過程で、映像が持つ独特のケレン味(魅力)というものがいろいろに分かってきた。そういう中でアニメーターは(特に日本のアニメーター)は、「動画というものの面白さとは何か?」というのを研究して、いろいろと知識や経験を積み重ねてきた。 そして高畑勲監督は、そういう動画として面白いシーンを集積して一本につなぎ合わせるのがアニメーション映画だと考えて、その道をずっと突き詰めてきた。ストーリーやキャラクター、あるいは世界観云々の前に、まず動画としての面白さがあるのがアニメーション映画だと。そういうふうに考えて、50年間アニメに携わってきた。 そんな監督が7年の歳月をかけて作った作品だから、「かぐや姫の物語」は、動画としての面白さが詰まったものとなっている。まず何よりも目を楽しませることを目的として、この映画は作られた。 そういう文脈を理解していないと
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。