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なぜ競争について考えるのか?
なぜ「競争考」を書くのか?
それにはやはり、「ゆとり教育」の影響があるだろう。
ぼくは、仕事柄若者と接する機会が多い。特に、お笑い養成所の講師をする中で、何人ものお笑い志望の若者と接してきた。
その中で、何度も歯がゆい思いをさせられてきた。なぜかといえば、彼らの競争心が足りないと思ったからだ。彼らのガッツが足りないと思った。彼らには「負けず嫌い」の心が決定的に欠けると思った。
もちろん、中には負けず嫌いの若者もいないわけではなかったが、総じて争いごとを避ける傾向にあった。また負けず嫌いの若者も、それを「勝負に挑む」という形で発露するのではなく、むしろ「勝負を避ける」という形で発露していた。だから、ちっとも競争力が育たないのだ。
お笑い養成所の生徒たちは、「お笑い」という競争の厳しい世界に自ら飛び込んできた者たちばかりである。そういう者たちからしてこれだけ競争嫌いなのだから
なぜ「競争考」を書くのか?
それにはやはり、「ゆとり教育」の影響があるだろう。
ぼくは、仕事柄若者と接する機会が多い。特に、お笑い養成所の講師をする中で、何人ものお笑い志望の若者と接してきた。
その中で、何度も歯がゆい思いをさせられてきた。なぜかといえば、彼らの競争心が足りないと思ったからだ。彼らのガッツが足りないと思った。彼らには「負けず嫌い」の心が決定的に欠けると思った。
もちろん、中には負けず嫌いの若者もいないわけではなかったが、総じて争いごとを避ける傾向にあった。また負けず嫌いの若者も、それを「勝負に挑む」という形で発露するのではなく、むしろ「勝負を避ける」という形で発露していた。だから、ちっとも競争力が育たないのだ。
お笑い養成所の生徒たちは、「お笑い」という競争の厳しい世界に自ら飛び込んできた者たちばかりである。そういう者たちからしてこれだけ競争嫌いなのだから
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