記事へ戻る 岩崎夏海さん のコメント 岩崎夏海 >>1 本来は隔絶している出演者とファンが、出演者の「驚き」という感情を突破口にしてつながり合う、ということはあると思います。「驚き」はある種の綻びのようなもので、ファンは、その綻びから出演者の内部に侵入しようという意図は、いつでもあるのではないでしょうか。ですから、そこを逆手に取って、あえて「驚き」という綻びを見せることによって、ファンを誘引するという戦術も成り立つと思います。 また仰るように、それは外部に対して閉じられた集団を開かせる鍵にもなると思います。人々は、エンターテインメントの内部に入ることを――その一部になることをエンターテインメントに対して訴求しているところはあると思います。 No.2 148ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 握手会の女王(後編)(2,066字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
岩崎夏海 >>1 本来は隔絶している出演者とファンが、出演者の「驚き」という感情を突破口にしてつながり合う、ということはあると思います。「驚き」はある種の綻びのようなもので、ファンは、その綻びから出演者の内部に侵入しようという意図は、いつでもあるのではないでしょうか。ですから、そこを逆手に取って、あえて「驚き」という綻びを見せることによって、ファンを誘引するという戦術も成り立つと思います。 また仰るように、それは外部に対して閉じられた集団を開かせる鍵にもなると思います。人々は、エンターテインメントの内部に入ることを――その一部になることをエンターテインメントに対して訴求しているところはあると思います。 No.2 148ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 握手会の女王(後編)(2,066字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
本来は隔絶している出演者とファンが、出演者の「驚き」という感情を突破口にしてつながり合う、ということはあると思います。「驚き」はある種の綻びのようなもので、ファンは、その綻びから出演者の内部に侵入しようという意図は、いつでもあるのではないでしょうか。ですから、そこを逆手に取って、あえて「驚き」という綻びを見せることによって、ファンを誘引するという戦術も成り立つと思います。
また仰るように、それは外部に対して閉じられた集団を開かせる鍵にもなると思います。人々は、エンターテインメントの内部に入ることを――その一部になることをエンターテインメントに対して訴求しているところはあると思います。
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