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@@さん のコメント

ニコニコの記事の所で最近よく流れてくるハックルベリーがどうとか言う所の記事
これタイトルだけで最高に臭くてなんだよこれと思ってたがこいつだったのか
萌え系表紙のスッカスカな自己啓発本で一発当てただけで勘違いして図に乗った挙句
諸々書いてる事的外れだったりただの意識高い系()なだけだったから今完全に下火になってて笑う
No.4
119ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
前回の記事を公開したところ、「肝心の『書き方』について書いていない」という指摘がいくつかあった。 ライトノベルの書き方:その1「スイスの時計を考える」(2,143字) そこで今日は「書き方」について書いてみたい。 ライトノベルに限らず、小説の書き方は、どれも基本は一緒である。小説にはある一定の「型」があって、その型を体に叩き込んでから、それに則って書く。物語を動かしたり、キャラクターを動かしたりしていく。そうすることで、小説は書ける。 これを、もう少し具体的に見ていきたい。 職業として小説を書こうとした場合、売れないとそれは「職業」にならない。だから、「売れる」ということは前提にあるとして、では売れるためにどうすればいいかというと、やっぱり読む人に「面白い」と思ってもらうことがどうしても必要だ。 そして、人が「面白い」と思うことにはいくつかのパターンがある。そのパターンから逆算して作っていけば、面白い小説というのは作りやすい。 例えば、人が「面白い」と思うものの定番に、「自分を犠牲にして誰かを助ける」というシーンクエンスがある。そういう自己犠牲するキャラクターが出てくると、人は面白いと感じ、心惹かれてしまう。だから、まずはラストで「登場人物が自己犠牲して誰かを助ける」という設定を考える。 そのとき、感動を大きくするためにはコツがある。それは、あらかじめその登場人物を「人を助けないようなキャラクターに描いておく」ということだ。どちらかというと冷めた、自己中心的な人間に描くのである。そうすることで、ラストの展開がダイナミックになり、感動も大きくなる。 ところで、この「自分を犠牲にして誰かを助ける」というキャラクターは、主人公ではなく脇役の方がいい。なぜかというと、人間はやっぱり感情移入した主人公が死んでしまうと気分が落ち込むからだ。それよりも、感情移入しなかった冷めた脇役が犠牲になる方が、心が痛まないで済む。 人間はやっぱり自己中心的なので、自己を投影した主人公には死んでほしくない。それよりも、脇役が主人公のために死んでくれる――というシチュエーションにグッとくるのである。 ところで、その「冷めた自己中心的な人間である脇役が、最後は自己犠牲を果たす」という展開は、構造としてみると「成長」である。これも「型」の一つだ。人間は「成長物語」が大好きである。これにはちゃんと理由がある。 人間の赤ちゃんというものは、大きくなるまで親が育てないと死んでしまう。だから、赤ちゃんには親が育てたくなるような「魅力」が必要なのだが、その一つが「成長することの面白さ」なのである。 親は、子供の成長が面白いから育てるという側面がある。そのため、子供が成長しきった成人以降は、自然と育てなくなる人が多いのだ。 この「成長することの魅力」をキャラクターたちに与えるのも、小説の型の一つである。読む人に面白いと思ってもらうためには、キャラクターたちが成長しなければならない。そのため、最初は未熟な人間に描く必要がある。そうしておいて、それを克服する過程を描くのだ。 ところで、「脇役」は冷血なキャラクターと決まった。それが最後に人間的な温かさを取り戻すから、成長物語となる。この脇役に対して、主人公のキャラクターはかぶらないようにする必要がある。「バリエーションが豊富」ということも、面白さの型の一つだからだ。 そのため、小説の主人公には熱血漢が多い。熱いハートと行動力を持っている。ただし、未熟者としても描かなければならないので、同時に「単細胞」「直情型」「考え知らず」などといった性格が付与されるのである。 さらにいえば、主人公は「無知」な方がいい。そしてまた「臆病」であった方がいい。「短気」であるのもいい。この三つが、主人公によく与えられる「三大性格」といっても過言ではない。 なぜかといえば、多くの人間には「自分は無知だ」「自分は臆病だ」「自分は短気だ」というコンプレックスがあるからだ。これは「人間の三大コンプレックス」ともいえるのである。 だから、主人公がそういうコンプレックスを持っていると感情移入しやすい。共感しやすいのだ。 その意味で、小説は一つの「コンプレックスビジネス」ともいえるだろう。多くの人が抱える悩みを利用して、人々を惹きつけるのである。そして、それを主人公に克服させてやることで、喜びと慰めを与えるのだ。すると、多くの人はそれを「面白さ」と受け取ってくれるのである。 今回はここまでとしておく。次回は、そういうパターンを組み合わせるとどういう小説になるか、具体例を示しながら解説していきたい。 ところで、こうした「書き方」を含む「創作術」について教える「岩崎夏海クリエイター塾」を、現在開講している。隔週の土曜日(月2回)、渋谷の貸し会議室で15時半〜18時まで行っている。そこでは、ここには書き切れない創作の極意、書き方のテクニックなどをお教えしているので、興味がおありの方はぜひ参加していただければと思う。 詳細はこちら。 第二期岩崎夏海クリエイター塾」塾生募集 みなさまのご参加をお待ちしております。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。