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みかんづめさん のコメント

突っ込みどころはあるけど分かるところもある。
学生時代、修学旅行で戦争体験の話を聞こうみたいな催しがあったけど、おばあさんの話は何度もループするし、正直七割くらいは戦争関係ないその人個人の家庭の話だったりして、なんだかなあと思ったよ。
最後は素晴らしいお話をありがとうございましたって学級委員長の女の子が泣きながら花束渡して終わりだった。
何回かループしたあたりで、この時間を使って映像資料を見た方が勉強になるんじゃないかなと思ってた。
まともな話が聞ける人だって中にはいるだろうから、全部が悪いとは言わないけど、人選ミスすると大して戦時中とか戦後の勉強にならないのは事実。
当時のニュース映像とか見た方がいいのも本当。全然違う時に見た、原爆が落
No.242
78ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
長崎県島原市の中学校で、原爆の被爆体験を持つ79歳の男性が戦争について講話したところ、途中で福島の原発事故や戦争責任の話になって、校長が強制的に話しを打ち切るというできごとがあった。 被爆者講話 校長が遮る ところで、ことの結果は別として、ぼくはそもそも「戦争体験者に戦争体験を話させる」という催しは良くないと思っている。「良くない」というのは、「好きじゃない」という消極的な意味ではなく、「害悪なので廃止すべき」という強い意味でだ。 そこで今日は、そのことについて書いてみたい。 なぜ戦争体験者の話しを聞くのが害悪かというと、それは戦後70年経って、彼らの記憶が大幅に美化、風化され、事実とほど遠いものになっているからだ。そして、聞く方にもそれが伝わるのである。 老人の昔話というのは、ほとんどの場合で面白くない。なぜかというと、そこにはリアリティが欠けているからだ。 「リアリティの欠如」というのは、例えば話しが出来すぎていたり、展開がご都合主義だったりする。矛盾が多く、バランスが悪いという側面もある。あるいは、自分を過度にヒーロー視したり悲劇の主人公視したりしている。そういう話しは聞いていて鼻持ちならない。 これらの理由で、老人の昔話はすべからくつまらない。そしてそれは、戦争体験も例外ではない。彼らが話す「戦争の悲惨さ」も、聞いていて非常にイライラするのである。 それでいて、彼らに「その話、美化、風化していますよね?」とツッコむわけにもいかないから、ますますイライラが募ってくる。そのためかえって戦争の悲惨さが伝わりにくくなっている。むしろ、彼らが戦争を悪いものと表現すればするほど、それに対する反感が高まってしまうのだ。 実際、今回のトラブルもそうしたことが原因で起きたのではないかと思っている。その人の講話が、聞いていてイライラさせられるものだったのではないだろうか。そうでなければ、原発や戦争責任の話しをしたからといって、いきなり止め立てされることはなかっただろう。 もし子供たちに本気で戦争の悲惨さを伝えたいのなら、当時のフィルムや人々の証言を見せるのが一番だ。当時――つまり70年前の人々は、当たり前だが、まだ記憶がほとんど風化、美化されていない。だから、彼らの話しには非常なリアリティがある。 以前、NHKで放送された『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』という番組で、終戦当時に収録された人々のインタビューを聞いて驚かされた。彼らが非常に淡々としていたからだ。そこには悲壮感や被害者意識がといったものは微塵も感じられなかった。声のトーンが全然違う。落ち着き払っているのだ。 この「声の違い」の及ぼす影響が、実は大きい。ありていにいって、落ち着いている声だと「聞こう」という気にさせられる。そうして、戦争についても自然と深く考えられるようになる。 これに比べると、老人の昔を語る声は耳障りだ。だから、なかなか聞く気になれない。そのため、戦争の悲惨さに思いを馳せるのも難しくなっているのである。 今の時代、上記の番組などは有料だがNHKオンデマンドですぐ見ることができる。 日本人はなぜ戦争へと向かったのか - NHKオンデマンド あるいはDVDでも発売されている。 日本人はなぜ戦争へと向かったのか DVD-BOX - Amazon だから、もうそういう催しはやめにして、こちらの方を子供たちに見せるべきだ。その方が、よっぽど戦争の悲惨さを伝えられる。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。