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GUY FAWKESさん のコメント

>「方手落ち」

兵頭さん、こちらは「片手落ち」ではないでしょうか。
差し出がましい様ですがご確認ください。
No.1
92ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 ちょっと時期を逸した感がありますが――まあ、ぼくは大体、いつもやることなすことワンテンポ遅れるのですが――我孫子市で起きた女児殺害事件について。  もちろん、現時点では逮捕された容疑者はあくまで「容疑者」であり(また、本人も黙秘しているようであり)軽々しいことは言うべきではないのかも知れませんが、 「みんな」 がいろいろ言っているのに 乗り遅れたくないので、しょうがありません 。あくまで「容疑者」を「犯人」と仮定してのお話なのですが、感じたことをまとめておきたいと思います。  まず、今回ぼくが本件に対して抱いたのは、「随分と盛りだくさんだよな」という感想です。  彼は妻子持ちであり、保護者会の会長職に就いており、言ってみれば社会的に信頼される教育者的立場の人物でした。  つまり、こうした事件が起きた時に仮想されるであろう一人暮らしの独身男、社会的地位も低い人間といった犯人像とはどうにもつながらないわけです。  しかし一方、オタクと思しい側面も報道されています。  書店で『新潮』と『文春』をぱらぱら眺めたところ、前者では学生時代にアニメ絵を描いたり「アニオタの読むようなエロ本(確か、このような記述でした)」を読んだりしていたと伝えられ、後者では「裏物のDVD」のマニアであったとされています。「裏物」といっても、いわゆる小学生女児の水着DVDの類であり、裏は裏だが違法性はない(と、記事を読む限り想像できる)ものですが。  つまり、こちらの方はこうした事件が起きた時に仮想されるであろうロリコン男といった犯人像に結びついてしまう。  盛りだくさんすぎて、みなさん、お好きな要素だけサラダバー形式で選んで、お好きな論を展開なさってはどうでしょうかねと言いたくなってしまうわけです。  言うまでもなく、今までこの種の問題がある度に、オタクを守ると称して先頭で旗を振る、「何らかの政治的な意図を持った、リベラル寄りの人々」――まあ、ぼくがいつも言っている「表現の自由クラスタ」――は「子供への性犯罪はペドファイルによるものより、近親者によるものの方が多い」といったロジックを好んで多用してきました。しかし「ペドファイル」と「近親者」は対立する概念ではなく、当然、「ペドファイルの近親者による犯行」が多いとの論法も成り立ち得る。正直、穴だらけのペド擁護論を、まるで マスゲームの如くに異口同音に繰り返す のがどうにも気持ち悪く、ぼくの「表現の自由クラスタ」への不信感の一因となっておりました。また、これはどうしたってフェミニズム的な家族解体指向と親和性がある主張であることも、疑い得ません。  本件は、そうしたロジックの穴を、わかりやすく絵解きしてしまいました。  まあ、もちろん、一方では「世間一般の、子供への性犯罪は怪しげな変質者である独身者によってなされるとの幻想」に穴を開けたとも、言えるでしょうが。  さて、ネット界隈では本件の報道に対し、「オタクバッシングだ」との声が溢れました。  或いはぼくの知らない「バッシング」報道もあったのかも知れませんが、少なくとも上のものはそうではないでしょう。しかしそうしたレベルの報道にすら激おこな、「犯人の趣味まで報じる必要がないのに何故報じるのだ」といったような声が聞かれたことには、いささか当惑せざるを得ませんでした。  むろん、犯人の小学校時代の作文などを引っ張り出すような報道の仕方は、誉められたものではないかも知れません(だからといって何も報じないわけにもいかず、そもそもそれこそ「表現の自由クラスタ」の主張ともバッティングすると思うのですが)。が、上の「何故報じるのだ」発言は、そうした一般論から出て来たものとは違うでしょう。  ここには、「無辜で清浄な被害者であるオタクと、凶悪な加害者であるマスゴミ」という対立構造が仮想されているのです。  しかし、上の報道が正しいとすれば、「犯人」がオタクである可能性は少なくない。  彼が嗜んでいたという「アニオタの読むようなエロ本」やら「裏物のDVD」も、どのようなものか、詳しいことはわかりません。オタ向けのエロ漫画といっても巨乳の人妻の登場するものだってありますし、水着DVDといってもモデルが女子高生ならば、ペドファイル向けではない。しかし仮にそれらがペドファイル色の強いものであったとしたら、犯行と相関関係がないとも言いにくくなってきます。  ぼく自身はオタクとペドファイルは全く別物であるし、あくまで分けて論じるべきだと思っています。今回の「犯人」についても、「オタクではないが、ポルノ的リソースをオタクコンテンツに求めたペドファイル」といった解釈も大いに成り立ち得るでしょう。実写の児ポは貴重でしょうから、あくまで代替物として「ロリコン漫画」を収集していたという考えです。が、それでも相関関係があることには変わりないし、そしてその相関関係は「彼ら」が好んで例示する「犯人はパンを食べていた」よりは大きなものであることは、疑い得ません。  そして、実のところ「彼ら」はこうした(オタクとペドは別だという) 「切断操作」を許さない ことは発言を見ていれば明らかであり、ここもまた、「彼ら」に不信感を抱かざるを得ないのです。  この事件の「犯人」が捕まる直前、(本件とは関係ない、オタクと性犯罪の関連についての話題で)トゥゲッターで議論していた相手が「オタク的な文化を消費していた者が性犯罪に走った例はない」といった主張をして、絶句したことがありました。想像ですが、この主張は「ポルノは性犯罪の原因にはなり得ない」との「因果関係」否定論を拡大解釈し、「相関関係」にまで押し広げてしまったものであるように思われます。  むろんこれは極端な例にせよ、近年オタクの被害者意識はいよいよエスカレートする傾向にあるように思われます。 「彼ら」のトップにいると考えられる文化人――即ち、「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」は一昔前まではオタクをゴミクズのように罵っていたにもかかわらず、オタク文化が市民権を得るに従い、手のひらを返した上、揉み手を始めた人たちなのですが。そこにあるのは「オタク」が 「みんな」 と呼べるような一定のマスにまで育ってしまったがため、それを利用することに 乗り遅れまいとしている姿 です。 「彼ら」は「オタクを悪者であるかのように報じる、マスコミの偏向報道」をこそ、諸悪の根源であるかのように考えている節がある。また、明らかにそのような報道があったとしたら、それは確かに正されるべきではある。  しかし「小学生の児童をレイプする漫画を読んで喜んでいたオタクが実際に小学生の児童をレイプした」としたら、それはそのように報道されてしまうのは仕方がないし、「そのようなオタク」がある程度、白眼視されるのも仕方がないでしょう。  どうも「彼ら」の論調を見ていると、「小学生の児童をレイプする漫画を読んで喜んでいるオタク」が ニコニコと実在の小学生の児童と手をつなげる世界 をこそ、正常であると考えている節があります *1 。そして、「そうした、本来の正しき社会」の建設を阻んでいるのが、オタク――否、ペドファイルへの「偏見」をまき散らすマスゴミという名の悪者である――「彼ら」はそう考えているように見えます。  しかし、それは非現実的な妄想と言うしかありません。  そもそもこの種の「マスコミの影響論」は「彼ら」の「性犯罪者はポルノの影響を受けなかった論」と真っ向から対立しますし、「彼ら」が親の敵の如く憎んでいる(フリをしている)「ラディカルフェミニズム」 *2 と全く同じ考えなのですが。 *1 事実、NAMBLAという「子供とのセックスを合法化せよ」と主張をする少年愛者の組織がアメリカにあることを、ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。 *2「彼ら」は「ラディカルフェミニズム」という言葉を、「ポルノに反対するフェミニズム」という間違った意味で(恐らく確信犯的に)流布させていますが、実際には「マスコミなどの影響下にある男女のジェンダー、セクシュアリティを正さねばならぬ」とするフェミニズムをこそ、こう呼ぶのです。これは即ち、現行のフェミニズムはほぼ100%ラディカルフェミニズムであることをも、意味しています。詳しくは「 重ねて、ラディカル/リベラルフェミニスト問題について 」を参照してください。  そんな「彼ら」は度々、「オタクがマスコミから攻撃を受けた事例」としての「宮崎事件」を引きあいに出します。  みなさん、特にお若い方、ご存知でしょうか、「宮崎事件」。  何しろ1988年のことです。オタク以外には――いや、下手をするとオタクにも――すっかり忘れ去られた事件です。四人もの幼女が殺害された凄惨な事件の犯人がオタクで、また、当時は「オタク」という概念そのものが一般的でなかったため、ある意味オタクの、強烈なネガティビティをもってのマスコミデビューとなってしまったという事件だったのです。  その時にもオタク界隈では「宮崎くんはオタクではなかった」的な言が流通したのですが、そんな中で大塚英志氏は「そうじゃない、宮崎くんはオタクだった。それを引き受けた上で彼が好んだオタク文化を擁護しよう」との主張を展開したのです。  確かに大塚氏の言はいささか宮崎くんに肩入れしすぎのものであって(これは逮捕当初の流れがいかにも冤罪っぽいものであったことが関係しているように思われます)、文化人連中や彼が愛して止まない大少女漫画家から「格好つけやがって」「殺された少女を蔑ろにしている」といった(完全に不当な)言いがかりをつけられていたことを思い出します。  前者は、確か糸井重里。大塚氏の「ぼくの中の宮崎くん」的な表現に噛みついたものでした。  もちろん、 犯罪者に対して「切断処理」をすることを旨とする 目下の「サヨしぐさ」からすれば、大塚氏のやり方はいささか「宮崎萌え」のすぎるものではありました。今こう書いて気づきましたが「宮崎萌」ってタレント、いそうですね。  しかし大塚氏の主張は、あくまで宮崎くんの犯行そのものは裁かれなければならないけれども、彼の愛したオタク文化は守らねばならないというものだったのです。更に言えば、オタク文化と事件との間に一切の関係がないとするのもムリがある、「エロ漫画に刺激を受け、犯行を」といった因果関係論は否定すべきかも知れないが、「ロリコンだからロリコン漫画を読んでロリコン犯罪を犯した」といった相関関係までは否定できない。そこをそれなりに引き受けていくことが誠意ある態度だ……まあ、これはぼくの解釈も入っているかも知れませんが、当時の彼の主張は、要するにそういうことでした。  その後、オタク文化が隆盛するようになって、大塚氏は「俺はお前らがでかい顔するために身体張ったんじゃねーぞ」などと憎まれ口を叩いておりましたが、そう言いたくなる気持ちもわかるのです(ただし、彼の言う「お前ら」は恐らく岡田斗司夫氏辺りが想定されていたと思います。ぼくとしてはそこに、 また別な人たちの名前 を入れたいところなのですが……)。  ともあれ、目下の「ペドファイル被差別者論」はそうした考えるべき諸々を見事なまでに切り捨て去った、最近のリベラルに顕著な「仲間内でだけ盛り上がることだけが目的化した、まかり間違っても外の世界では通用しないレトリック」にしか思えません。  そして、繰り返しになりますが、「在特会」のノウハウが左派のパクリであるのと同様、「彼ら」の論法はLGBTのパクリで成り立っています。ぼくはずっと、「オタク=セクシャルマイノリティ」論者のもの言いを批判して来ました *3 。「彼ら」の狙う、オタクの「LGBT」への仲間入りは絶対に叶わないし、万一叶ったとしてもそれはオタクに決して益するものではない、と。  LGBTは「名誉女性」として「被害者力」を獲得しましたが、オタクは決して、「女子力」の主ではありません(もっとも、「オタク=草食系男子」の図式は成り立つとは思います。ですが、逆にこうした図式を、一体全体どうしてだか「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」は狂ったように否定し続けています)。  つまり、ぼくたちが殊更に被害者意識を声高に叫んだところで、LGBTの獲得している「女子力」というスキルを持っていない以上、彼ら彼女ら以上にウザがられる、「自分をセクシャルマイノリティだと思い込んでいる一般人」になるのがオチなのです。  更に、上に挙げたような非現実的な世界観を振りかざすようになったら、それは本当に、「 単なるヤバい人 」となってしまいます。ここから見て取れるのは、「被差別者バッヂ」さえ身につければ、自分はいついかなる場合も正しい側に立てるのだという、「彼ら」ののぼせ上がりようです。それは、全てを被害者/加害者の二元論に還元しようとするあまりにも幼稚な試みであり、その過程で、何よりも忘れてはならない「ペドファイルの加害者性」をすっぽりと置き去りにしてしまっているのです。 「男性学」研究家である伊藤公雄師匠は拙著『 ぼくたちの女災社会 』を「男性を完全に被害者という位置に置いた書」と評しましたが *4 、これはかなり的確な形容です。拙著のしたことは端的に表現すれば、世間が、分けてもフェミニズムが男女ジェンダーの両価性を全く顧みず、「女性を完全に被害者という位置に置い」ていることへの疑問の提出でした。拙著はそうした「片手落ち」に対する相互補完を目指した書である、と言えます。  しかし今、フェミニズムに忠誠を誓った「彼ら」が「ペドファイルを完全に被害者という位置に置」きつつあるのです。「彼ら」が拙著と異なり、相互補完を目指していないことは、例えば上に挙げた空想科学的な現状認識が象徴していると言えましょう。 「自分たちは被害者だ」という甘美な自意識は一度持ってしまうと、そこから動くのは困難です。それはフェミニズムがそうであったように阿片であり、しわ寄せは「更なる弱者へと行く」ことはもう、 決定事項なのです 。  ぼくたちは『薔薇族』の編集長が小学生とのセックスを称揚している証拠を目の前に突きつけられても、頑として認めなかったフェミニストたちのことを 思い出し 、他山の石とすべきでしょう。 *3 「新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク」を読む *4 夏休み男性学祭り(その4:『新編 日本のフェミニズム12 男性学』
兵頭新児の女災対策的随想
「女災」とは「女性災害」の略。

男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。



このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。