光陰矢の如し。ついこの前まで、街中かぼちゃだらけだったのに、先週末はクリスマスツリー売り場がにぎわっていました。(スーパーマーケットには、なんとお鏡餅まで!)
今年もあっという間に年末がきて、気づけば来期のスタートを迎えていそう・・・とちょっと焦っています。
さて、10月くらいから年末にかけて、社内の意識調査が増加します。翌期の取り組み計画を策定するためにも、早目に調査を行い、ちょうど今頃予算策定のための上申活動が行われている。
「ある程度」って「どの程度」?
私は、インターナルのブランディング活動のシナリオを策定したり、具体的な活動をプランニングしたりすることを中心に行っています。こういった意識調査(アンケート系)やインタビュー調査などは、大切なインプットとなるので、担当をしています。
調査内容の多くは、
- 企業理念やブランドが浸透しているか
- それらに基づく活動が行われているか
- 活動を阻害する要因は何か
など。実情とその発生要因を可視化して、改善のための施策を導き出します。
これまで実に多くの企業の社員の方の回答を見てきたが、びっくりするくらい優等生が多い、と毎回思う。(驚くことではないですが)
ほとんどが、「ある程度知っている」「ある程度理解している」「ある程度活動している」と回答します。
指標化するために、「とても」「ある程度」といった選択肢を設けているのだが、この「ある程度」が「どの程度」なのか、といつも思う。
もしかすると、たまたま調査票が配布されたその日に、お客様や上司、同僚に、褒められたり、認められて、「とても」を選択したのかもしれない。反対に、たまたまその日、うまくいかないことがあったり、失敗したことがあって、「ある程度」を選択したかもしれない。自分の行動やその結果に対するリアクションの有無や内容によって、アンケートの回答も変わる。
一方で、褒め合い、認め合う職場に身を置いていれば、いつでも回答は、「とても」かもしれない。
そういった想定をしながら、集計を行っていたりします。
(それは集計の段階ではあまり関係がないのだが)
変化が感じられないのに、アンケート結果が良好な理由
しかし、上記のようなものではなく、“上司が見ているかもしれないから”、“人事部が見ているかもしれないから”「ある程度」、というのが、やっかいだと思う。
そんなことがないように、匿名にし、個人を特定しないようにしているのだが、それは通用しないらしい。
- 本当のことを書けば、評価に支障がでるのでは
- 本当のことを書けば、上司に怒られるのでは
こういった想いから、本当のことを書けなくなってしまっていることがある。
また、ある企業では、上司に「よく書いておけ」と指示された、という自由回答があったそうだ。自らを守ろうとするあまり、部下の回答までチェックしてしまう管理職までいるのだという。
こうやって、変化が感じられないのに、すばらしいアンケート結果が生まれる。
ここから何が言えるのか。
社員が会社を信用していない可能性がある、ということだ。社員が会社を信用していないから、「裏切られるかもしれない」と思い、守りに入る。
「守る」のは、そこに何らかの「危険」を察知する人間の本能なのだ。
ガラス張りの企業風土醸成にむけて
そもそも、見られて困る回答しかできない風土に問題があるのではないでしょうか。相互にオープンで言いたいことが言えて、しっかりと受け止めてもらえる。そんな風土であれば、回答率も上がるし、問題の抽出も容易だと思う。(調査しなくてもどんどん意見が上がってくるかもしれない)
「アンケート調査ではそこそこよい結果が出ているのに、変化が見られない」
「ボトムアップの組織を作りたいが、社員が何も言わない」
そんな企業は、社員をもっと信用してほしい。言いたいことを言える風土を本気でつくってほしい。
一生活者としての視点も持つ社員は、会社の最大の武器であると私は思う。彼ら彼女らが持つ様々な意見や活動が、会社の価値を高めるためには、必要不可欠なのです。
それらを最大限活用していくための第一歩目は、0.01%の差を調べて詰めていくことではなく、一人ひとりの声に耳を傾け、真摯に受け止めることではないでしょうか。
by 森口 静香