小説『神神化身』第四十三話

天涯比隣(forever friends ROUISO)・前日譚


「六原(むつはら)。九条比鷺(くじょうひさぎ)と友達になってやってくれないか?」
 放課後、隣のクラスの担任である立花(たちばな)先生にそう言われた時、三言はなんで自分なのだろうと思った。別に頼まれることは嫌でもないけど、三言は隣のクラスだ。どうせなら九条比鷺と同じクラスにいる人間に頼んだ方がいいんじゃないだろうか。違うクラスでは、休み時間に遊ぶのも大変だし、授業の時に気にしてあげられないからだ。
 疑問に思う三言を余所に、立花はそのまま語り続ける。
「成績も悪くないし、運動もそこそこ出来る。でも、他のクラスメイトと一言も喋らないんだよ。四年二組に上がってから、九条比鷺が誰かと話してるところすら見たことがない。そのせいか、休みも目立つ」
「そうなんですか」
「先生達も勿論心配だが、何より家の人や舞奏社(まいかなずのやしろ)の人達が心配してるらしくてな。三年生の時もこんな感じだったから、九条比鷺の話はよく知れ渡ってて」
 この学校の先生達は──いや、浪磯(ろういそ)の大人達は、九条比鷺のことをフルネームで呼ぶ。名字だけで呼んでしまうと、どうしても有名な兄の方を思い出すからだそうだ。長くて大変そうだが、ごく自然と用いられる呼び名。もしくは『九条の弟の方』とか、単に『弟の方』と呼ばれているのも聞いたことがある。
 でも、三言はなんだかその呼び名が好きじゃなかった。お兄さんのことをよく知っているからだろうか。他人事なのに、嫌だな、という気分になるのだ。
「立花先生の言ってることは分かりましたけど……なんで俺なんですか? もっと他にいるでしょ。俺、別のクラスだし」
「六原はみんなの人気者だし、誰にでも優しいだろ? 六原相手ならあいつも話しやすいんじゃないかと思うんだよ。嫌か?」
「別に嫌じゃないですよ。友達になるくらい」
「それに、九条弟も化身(けしん)持ちなんだ。いずれ舞奏衆(まいかなずしゅう)を組むかもしれない相手なんだから、今のうちに仲良くなってあげてもいいだろ」
 その言葉で、どうして自分が選ばれたのかを理解した。つまり、いずれは交流を持つようになるんだから、ということだ。納得はしたが、少し腑に落ちないのも確かだった。友達とは、果たしてそういうことの為になるものだろうか? そもそも、頼まれてなるものなんだろうか?
 けれど、それにもまして、これはいいきっかけだと思った。名前はよく聞く九条比鷺と、実際に話してみたらどんな風になるのだろう。もしかしたら、案外仲良くなれるかもしれない。
「わかりました。家に直接行ってみます」
「おお、本当か! いやあ、きっとみんな喜ぶぞ! 本当にありがとな!」
 みんなとは一体誰だろう、と思ったが、これ以上話が長くなっても困るので適当に頷いておいた。早く切り上げないといけない。遠流(とおる)が待っている。

 

 四年一組の教室に戻ると、遠流は机に突っ伏して気持ちよさそうに眠っていた。五分以上待たせると、遠流はこうして寝入ってしまう。眠る遠流はいかにも幼げで幸せそうなので、起こすこっちが罪悪感を覚えてしまうのだ。
「遠流、起きろ。帰ろう。待たせたのは悪かったけど、お前マジでちょっとは耐えろっての」
「……う、……あれ、先生からの呼び出し、……もう終わったの?」
 眠たげに目を擦りながら、遠流がぼんやりと尋ねてくる。ふらふらと立ち上がった遠流にランドセルを背負わせてやると、遠流は嬉しそうに笑った。これだから、自分達は遠流を置いて帰ろうとは思えないのだ。
「終わった終わった。あんまぼんやりすんなよな」
「……先生、何の用事?」
「あー、九条比鷺と友達になってくれってさ」
「九条比鷺? ……もしかして、九条屋敷の……?」
「そうらしい。鵺雲(やくも)さんから話は聞いてるんだけどさ、俺もほとんど話したことないんだよ。舞奏社には全然顔出さないし、学校も休みがちだっていうし。遠流は話したことあるか?」
「ない……よく知らない。見たこともないかも」
 元々遠流もそう交友範囲が広い方じゃないので、この返答は当然といえば当然だった。
「三言は知ってるの? 九条比鷺のこと」
「ああ、俺は舞奏社で何度か見たことがあるんだ。かなり舞奏の才能がありそうな感じでさ、凄かった覚えがある」
「……そっか、そういえば、九条家だもんね。……化身持ちなんだ」
「そうそう。だからすっごい期待されてるとかでさ。鳴り物入りってーの? ちょっと違うか」
 こういう話題には興味が無いのか、遠流はふうんと言ったきり眠そうな顔に戻ってしまった。
「僕は舞奏社に入れないから、会う機会も無いや」
「ノノウになれば入れるぞ。遠流も一緒に舞奏をすればいいのに」
 その言葉を聞いた遠流が、僅かに視線を逸らす。その視線が、三言の右手の甲に注がれる。
「……化身持ちじゃないから覡(げき)になれないし……」
「一生懸命稽古すれば化身が無いノノウでも覡になれるって言ってるけどな、社人(やしろびと)は」
「一生懸命稽古したくないから……だったら寝てたい」
 そう言って、遠流がふわりと欠伸をする。
「遠流って本当にそういう奴だよな」
「そういう奴だけど、三言はそれでいいって言ったでしょ……。僕は、ずっと、ずーっとこんな感じだから……」
「それでいいとは言ったし、まあ遠流らしいから良いっちゃいいんだけどさ」
 これは本心からの言葉だった。どこまでもマイペースだし、努力が苦手な友人の自由さが、三言はそんなに嫌いじゃなかった。
「そうだ。俺が話していい感じだったらさ、遠流も九条比鷺と友達になろうぜ。案外気が合うかもだぞ。よかったなー、新しい友達じゃん」
「ええ……別にいいよ……僕は今のままでいい……」
「んなこと言うなって。俺らとばっか仲良くしてるわけにもいかねーだろ?」
「……今が一番幸せだし……」
 遠流は寝言のような口調で呟くと、容赦なくこちらに体重を預けてきた。俺は背負って帰ってやんないからな、と三言は厳しく釘を刺す。

 

 遠流と分かれて舞奏社に行くと、そこには既に九条鵺雲がいた。件の九条家の『兄の方』だ。普段なら雑談もそこそこに稽古に入るのだが、今日は立花先生とのあれこれが尾を引いて、うっかり話を振ってしまった。鵺雲に言えば面倒臭い流れになることが分かっていたのに、だ。案の定、彼は目を輝かせて言った。
「比鷺と友達になるの? それはいいことだね! むしろ羨ましいね! 比鷺はとっても良い子だからさ、僕が友達になりたいくらいだよ! お兄ちゃんって立場も好きだから悩ましいけどさ。安心してよ! 三言くんもきっと比鷺のことが大好きになると思う!」
「なんだろう、鵺雲さんの所為で、あんまり仲良くしたくなくなってきたな……」
「どうしてそんな酷いことを言うの? 僕のことは嫌いになってもいいけど、比鷺のことは嫌いにならないでよ。僕、前々から三言くんは比鷺の友達にぴったりだと思ってたんだ」
 無邪気に告げられた言葉に、一瞬引っかかりを覚える。何の根拠も無いけれど、立花先生と鵺雲は個人的に連絡を取り合っているんじゃないだろうか、と思う。
「ぴったりって?」
「だって、同い年だし。同じく生まれながらの化身持ちでもあるし。いずれ舞奏衆を組むかもしれないんだから、仲が良いに越したことはないでしょ?」
「でも、舞奏衆を組む覡ならもうほとんど決まってるんですよね? 鵺雲さんと、俺と──」
「いいや。そうとも限らないよ。化身はただの前提だ。同じ化身持ちの覡の中でも技量の差はあるんだから。その点、比鷺は素晴らしいよ。櫛魂衆(くししゅう)の行方は、まだ、何も確定していないんだ」
 まるで予言でもするような口調が、どういうわけだかとても似合っていた。誰とも仲良くしようとしない、稽古すらしない九条比鷺が、この舞奏社に所属している誰よりも上手い舞奏を披露する可能性があるということだろうか? 信じられない、と目を丸くした三言に対し、鵺雲はなおも続けた。
「僕に何かあったら、比鷺が僕の代わりに櫛魂衆を率いて行くしかないわけだしね。勿論、無理強いはしたくないから、今のところは自由にさせておくけど」
「何かあったらって何だ? 鵺雲さんは浪磯からいなくなっちゃう予定があるのか?」
「よっぽどのことがない限り浪磯を離れないとは思うんだけどさ、色々あるでしょ。命を狙われたりとかね。ほら、舞奏競(まいかなずくらべ)に勝つには、最終的に有力な覡をそのままスナイプすることが一番ってところがあるだろ? 僕なんかも一応九条家の血を引いてるからね! 強敵でしょ? そういう搦め手を使われてもおかしくないってわけ」
 さらりと鵺雲が言うので、冗談なのかが判別出来なかった。鵺雲のジョークセンスはいつも微妙なので、冗談なのかもしれない。満面の笑みで首を傾げる鵺雲が、不意にとても優しい顔になった。
「大丈夫。僕に何かあっても、比鷺が控えてくれている。きっと比鷺の才能なら、僕をそっくりそのまま再現出来るはずだからさ」
 天才である鵺雲にそう言わしめる九条比鷺は、どんな人間なのだろう。
「……そっくりそのまま、再現……」
「うん。比鷺は控え子としての役割を全う出来る逸材だよ」
 記憶の中の九条比鷺といえば、舞奏をしているところばかりが思い浮かぶ。ずっと小さい頃、それこそ小学校に上がるか上がらないかの頃だ。
 鵺雲や九条家の人に連れられて舞奏社にやって来た比鷺は、周りとは一言も喋らず、酷く萎縮しているようだったが、とても綺麗な舞奏を奉じた。鵺雲のものとも、三言のものともまた違う、独特な華のある舞奏だった。
 物心がつく頃から舞奏に触れている三言だからこそ分かる。九条比鷺は舞奏の才能があった。三言にもそのことがちゃんとわかるくらいに。
「……そうだ。比鷺のこと、俺はちゃんと見てたんだった」
 けれど、比鷺の舞奏の素晴らしさに気がついているのは、三言と鵺雲だけのようだった。他の人からすれば、比鷺は鵺雲に比べて劣っているように見えるようなのだ。九条家の子供としては物足りなく思うほどに。そのことが当時は不思議で仕方がなかった。
 今ならその理由が察せられる。比鷺に求められたのは、鵺雲の舞奏を再現出来るような才能だったのだろう。だから、何も知らない人達には比鷺の舞奏が鵺雲に及ばないように見えるのだ。本当は、比鷺の舞奏がはっきりとした個性を持っているからなのに。
 今の比鷺は、舞奏社に近づきもしない。学校でも誰とも関わらずに過ごしている。そんな彼は、かつての自分のことをどう思っているのだろう?
「なんか、鵺雲さんのお陰で比鷺に興味を持ったよ。そうだった。初めて見た時から、俺は比鷺に一目置いてるんだ。素直に思ってた。そのことを思い出した」
「え、よく分からないけど、どういたしましてかな? 間接的に比鷺の役に立てた気がして嬉しいな! これで比鷺はもっと僕のことを好きになってくれるに違いないよね!」
「そんなことはないと思うけど」
 三言は友達のいない九条比鷺の為に、友達になってあげようとは思えなかった。いつか舞奏衆を組む為に仲良くなっておいた方がいいとも考えなかった。舞奏から離れたということは、やりたくない理由があるだろうから。そんな相手を前に、いつか舞奏衆を組む為に仲良くしようなんて思わない。
 ただ、九条比鷺に会うのが楽しみだった。
 きっかけを尋ねられたら「先生に言われたから」になるだろう。でも、義務感だけではない予感が胸の内を満たしていた。自分は比鷺と仲良くなれるかもしれない。いや、自分だけじゃない。遠流達もだ。こういう時の三言の予感は、意外と当たるものなのだ。


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(テキストと同様の内容を画像化したものです)

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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