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小説『神神化身』第二部 第三話 「九尾フォークロア」
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小説『神神化身』第二部 第三話 「九尾フォークロア」

2021-05-14 19:00

    小説『神神化身』第二部 
    第三話

    「九尾フォークロア

     蔵にいる謎の少年と出会ってから三十分。阿城木入彦(あしろぎいりひこ)の人生は大きく変わった。化身(けしん)が無い為に覡(げき)になれない自分に突然舞奏衆(まいかなずしゅう)を組む機会が与えられた。理由は分からない。なのに、阿城木は見知らぬ少年の言葉を信じ、自分の人生を託す決意を固めてしまったのだ。これがどれだけ大きい変化かは言うまでもない。
     そして、食卓の風景も変わった。
    「このアイスクリーム、とっても冷たくて美味しいです! 添えられたウエハースもサクサクしてるし、なんと黒蜜まで! はー、幸せだなあ……」
    「お前、スイーツ好きを押してくる癖に食レポ下手だな」
    「実はねえ、ちーくん! その黒蜜、私が作ったのよ~自家製!」
    「そうなんですか! 香り高くて色も綺麗で素晴らしいです!」
     食卓の向こう側では、突然やって来た七生千慧(ななみちさと)と、実母である阿城木魚媛(あしろぎうおめ)が仲睦まじく会話をしている。
     ほんの三十分前には蔵で謎の会話を繰り広げていた相手が、見慣れた場所で母親と歓談し、デザートの黒蜜バニラアイスを食べているのだから脳が混乱するのも無理はないだろう。自家製黒蜜の味も全然わからない。
    「きゃー、可愛いわあ! はー、ちーくん見てると入彦の小さい頃を思い出しちゃう……」
    「どう考えても七生と俺の幼少期は繋がらねーだろ」
     自分と七生ではあまりにも似てなさすぎる。その反面、童顔の母親と小柄な七生千慧はよく似ていた。
    「それで……腹ごしらえもしたんだからな。そろそろこれからの話をしようぜ。お前、どこから来たんだよ」
    「…………言いたくない」
     口ではそう言っているものの、七生の口調から察するに『言えない』という方が正しいのだろう。どこから来たのかを言えず、蔵での口振りからして夜を凌(しの)ぐ術すら持っていない。だとすると、ここで取れる選択肢は一つ。七生を阿城木家に住まわせることだろう。さりげなく魚媛の方に視線を向けると「お父さんがいない間はあんたが家督(かとく)。あんたが決めな」ときっぱり言われてしまった。溜息を吐いて言う。
    「七生。お前は住むところが無くて困ってるんだな? 助けが必要なんだな?」
    「……助け……」
    「阿城木家は助けを求める人間を決して見捨てない。けどな、助けようって思いは一歩間違えたらただの押しつけになっちまう。俺はそうはしたくない。だから、助けを求めてくれ」
     七生は一瞬、躊躇(ためら)いの表情を見せた。だが、すぐに思い直した顔をして、はっきりと言った。
    「……僕は今のところ居場所がない。ここにいさせてほしい。……助けてほしい」
    「ああ。分かった。任せろ」
     阿城木がそう言うと、魚媛が嬉しそうに千慧を抱きしめた。
    「やあったー! ちーくんがいる生活! ほんと、ここで助けを求められなかったら、ちーくんがどこにいるか、お腹空いてないかでモヤモヤするところだったわ! ありがとう、ちーくん!」
    「そんな、僕は居候させてもらう立場で……」
     しどろもどろになりながら言う七生は、やっぱり年相応に見える。だが、阿城木は七生の本当の年齢すら知らないのだ。

     

    「それで、舞奏衆を組む話をちゃんとしようってことになっただろ。何でこんな獣道に分け入ってんだよ」
    「その為だよ」      
     翌日、阿城木は大学の講義をすっぽかして、七生に言われるがままに車を出すことになった。車を停めた後は、人の寄りつかなそうな道を説明も無く歩かされている。別に恐縮しろとは言わないが、居候になった後の七生にしおらしさはまるでなかった。魚媛の前では猫を被っているので、正確に言うなら阿城木入彦の前でしおらしさがまるでない、が正しいだろうか。
    「なーに、その顔。阿城木は僕のお陰で舞奏衆を組めるんだから、感謝してよね」
    「組ませてから言えっつーの。……第一、もう一人の当てって」
     そこまで言ったところで、不意に言葉に詰まった。森を抜けた先が急に開け、廃神社が現れたからだ。
     七生は最初からここが目的地であると知っていたようで、恐れ知らずに色の褪せた鳥居を潜っていく。そして、錆びた本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らした。意外にも澄んだ音が辺りに響く。
     その瞬間、崩れかけた社の扉がガタガタと開き、何かが現れた。
    「ほう、これはまた随分可愛らしい客人ではないか」                                                      
     耳に残る美しい声だ。非日常の為に誂(あつら)えられたような声だった。現れた男に対して、七生が恐る恐る尋ねる。
    「……拝島去記(はいじまいぬき)?」
    「いかにも。我に何か用か?」
     微笑みながら拝島が言う。小柄な七生と比べれば頭一つ分高い。それどころか、阿城木よりも大きい。これでも平均身長よりやや高いので、見下ろされるのは久しぶりだ。一纏めに括られ、後頭部から垂らされた長い髪が、長身によく似合っている。
     だが、それよりも気になるのは、頭から生えている白い獣の耳と、影から見えている大きな尻尾だった。そこでようやく、魚媛から聞かされた話を思い出す。廃神社に、何かが住み着いているとか、そういう──。
    「七生、こいつは……」
    「どうした? 随分動揺しておるようではないか。我のことが気になるのなら、我に尋ねればいいであろう?」
     拝島はこの状況が楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔で言う。
    「主らは九尾の狐を見たことがあるか? 喜ぶといい。主らの前にいるのが、この世最後の九尾の狐じゃ!」

     

     そして、阿城木と七生はそのまま廃神社の中に通された。中は意外にも掃除が行き届いており、それだけではなく色々な生活用品やら食べ物やらがひしめいている。そのどれもがどこかお供え物のような雰囲気を纏っていた。まさか、本当にお供え物なのだろうか? 目の前の、自称九尾の狐への?
     阿城木の動揺を余所に、拝島は人懐っこい笑顔でこちらを見つめている。笑うと八重歯が見えるが、……それはやはり牙ではなく、ただの八重歯なのだ。
    「いつ見ても、人とは愛いものだ。我に何か用か? お供え物なら好きに置いていってくれて構わぬぞ。それとも、この九尾の狐に何かお願い事があるのか? 何でも申すがよい! 我は上野國(こうずけのくに)に暮らす人々を守る狐。力になろうぞ」
     言いながら、拝島がずいずいと距離を詰めてくる。やたらとフレンドリーだ。それに対し、七生はおずおずと言った。
    「……ねえ、耳触ってもいい? お願い」
    「おお、許そうではないか。ほれ」
     一歩間違えれば無体なお願いにも、拝島は喜んで応じて身をかがめた。七生は「失礼します……」と言って耳を触った後、ゆっくりと阿城木の耳に口を寄せてきた。
    「フェイクファー」
    「フェイクファー……」
    「む。我、何かよくないことを言われている気がする」
     分かってはいたが、目の前にいるのは、白い狐耳を着けただけの、正真正銘の人間らしい。よく見れば、九尾を自称しているのに尻尾も一つしかない。だが、常識的な世界に生きてきた阿城木には、目の前の男への対処がわからない。ややあって、躊躇いがちに尋ねる。
    「何で九尾の狐……さん? がこんなところに住んでるんだ?」
    「遙か昔──おおよそ千年くらい前だったかの。我は那須野にて、とある人間を守る為に命を賭したのだ。我は辛くも敵を打ち倒し、人を逃がしてやったのだが、それには大きな代償が伴った。我の身体は滅ぼされ、尾の毛だけが空を飛び、ここ上野國に辿り着いた。そうして我はその毛の一束からオサキギツネとして復活し、時折里に下りては人の手助けをしてここで養生しておったというわけよ」
     一言も噛まずに、拝島が滔々と語る。設定を、作り込んでいる……。阿城木が引いているのに構わず、拝島はウインクをしながら言った。
    「ちなみに、かの有名な『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』に出てくる政木狐(まさきぎつね)も我がモデルなのだ。すごいであろう? 憧れてしまうであろう?」
    「すごい、っていうか……」
    「ということは、去記は千歳超えてるってこと?」
     七生が小さく首を傾げながら言う。明らかにそこじゃないだろ、と阿城木は心の中で叫ぶ。
    「そうだぞ。大体一〇二四歳というところだ。驚いたか?」
    「いやこれ絶対実年齢が二十四歳だろ! なんでその端数の部分だけ中身を感じさせるんだよ! そこもぼかせよ! ていうか、狐設定はまだしも、自称九尾なのに、尻尾が一尾なのはおかしいだろ!」
    「むむ。どうして主はそういう意地悪を言うのだ? 我、そういうのよくないと思う」
    「なあ七生! これ俺が悪いのか?」
    「ここは相手のフィールドなんだから、阿城木が我慢して」
    「我、小さい主の方が好きだな~。名前は何だ?」
     拝島からそう尋ねられ、七生が不意に真面目な顔になった。そして、改めて拝島に向き直る。
    「僕は七生千慧。こっちにいるのは阿城木入彦。……お願い、もう一つしてもいいかな。右目、見せてほしい」
     どういう意味かを尋ねる前に、拝島が「……そうか、なるほど」と小さく呟いた。そのまま、拝島の指が右目に伸ばされる。
    「たまに、主のような者が来るのだ。物好きな人の子よ。魅入られても知らぬぞ」
     そう言って、去記が目に触れ、そこに嵌まっていたカラーコンタクトレンズを取り外した。その瞬間、思わず息を吞む。
     現れたのは、左目とは全く違う、深紅の瞳だった。
    「色が……いや、違う。まさか、目に化身が出てるのか?」
    「本当だったんだ。……本物の、化身持ち」
     七生が呆然としたように言う。そのまましばらく拝島の右目を見つめた後、毅然とした態度で続ける。
    「……拝島去記。僕は、この上野國で、舞奏衆(まいかなずしゅう)を──水鵠衆(みずまとしゅう)を組もうと思っている。去記は化身持ちだし──舞奏(まいかなず)が好きなんでしょう? なら、僕らと一緒に、覡に──」
    「駄目だ」
     その時、終始笑顔だった拝島の顔が暗く沈んだ。そして、思い直したようにまた笑顔が浮かぶ。けれど、その笑顔はさっきのものとはまるで違う、寂しそうなものだった。
    「我は主らの力にはなれぬ。我を見初めた慧眼(けいがん)には賞賛を贈ろう。だが、我はこの通りの化生よ。化生と人では真の意味では交われぬ。我を加えた水鵠衆には、必ず災いが起きる」
    「ちょっと待ってって! それ、どういう意味だよ! お前、興味があるのか? なら、そんなこと言ってないでもっとちゃんと話を……」
     思わずそう口を挟んでしまう。拝島は舞奏衆を組みたくないとは言っていない。それに、化生とは何だ? そんな言葉で、どうして七生の言葉をすげなく拒絶するのか? ……折角化身があるのに、と、恨み言めいた言葉が出そうになる。これではただの八つ当たりだ。
    「この話を、我がすることはないよ」
     あくまで柔らかく、けれど断固とした口調で言う。
    「もう帰るがよい。他の願いであれば、我はどんなものでも聞き入れよう。縁があれば、また会おうではないか。千慧、それに入彦」

     

       *


     

    「まさか、あんなにはっきりと拒絶されるとは思わなかった」
     廃神社を出た後の七生は、独り言のように呟く。だが、隣には阿城木がいるし、阿城木はそれを聞き流してやるような人間でもない。
    「おい。ここまで来たんだから説明しろよ。あいつ、何なんだ? どうしてあいつが化身持ちだって知ってたんだよ」
    「うるさいな。……なんかお前、えらそう。そういう口調の奴もう一人知ってるから、すっごい微妙な気分」
    「今そういう話してねーだろ。誤魔化さないで答えろ」
    「有名な話だよ。阿城木だって知ってるでしょ。化身を偽ったノノウの話」
     確かに知ってはいる。だが、それは上野國の単なる伝承(フォークロア)でしかない……はずだ。だが、七生は真面目な顔で言った。
    「あの伝承、どんなものだったか覚えてる?」
    「あ? 確か……化身を彫り入れたノノウは、それが偽物であると暴かれて舞奏社(まいかなずのやしろ)を追われた。そして罰を受けて化生に落とされた、とかなんとか」
    「それが一般的に知られてるものだね。でも、この二つの間にはもう一段階あるんだよ」
    「もう一段階?」
    「カミはね、ノノウの『化身が欲しい』という切実な願いを聞き入れたんだよ。──ならば授けよう。どうあろうと偽れぬところに。一目でその罪と驕(おご)りが知らしめられるように」
     七生の指が、とんとんと自らの瞼を叩く。
    「それで、目か……」
    「その当時、片側だけ色の変わった目を見て、周りの人間がどう思ったかなんてわかるだろ? それが化身だと主張したところで、言っているのは罪深きノノウだからね。恩寵(おんちょう)だなんて見做(みな)されない。これで化生の出来上がりだ。拝島家の祖先は人目を避けて暮らすようになり、それから幾年月が経った」
     阿城木が、ずっと勝手に共感と──同情を抱いて、慰めを見出していたノノウの存在が、拝島の姿を取って目の前に立ち現れる。望むものを右目に与えられた拝島の祖先は、それでも報われたと思えただろうか? そうはならなかっただろう。カミに──いや、舞奏に焦がれ、食らいついた結果がそれなんて、あまりにも悲しかった。
    「月日は流れ今、拝島去記は罪深きノノウに与えられたのと同じ化身を発現した。……そして、彼は、」
     何かを言いかけた七生が、ゆっくりと首を振る。
    「とにかく、日を改めてもう一度会いに行かないとね。……水鵠衆には、彼が必要なんだ」
     それを言う七生の横顔は、真剣という言葉を充てるにはあまりに切実だった。一体何を抱えてるんだよ、と問いただしてやりたくなってしまうほどに。
     けれど、七生はこの件に関しては、まだ阿城木に助けを求めていない。求められていない助けを与えられるほど、自分は七生千慧に踏み込めない。傲慢(ごうまん)ではいられない。
     だから、阿城木はただ黙って、七生の歩幅に合わせることしか出来ないのだ。

     



    著:斜線堂有紀

    この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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    ©神神化身/ⅡⅤ

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