小説『神神化身』第二部 
第二話

「霹靂(へきれき)

「もういい。お前だって俺が栄柴(さかしば)の家の子供だから、わざわざ話しかけてくるんだろ。俺はお前がいなくても平気だから、もうあっち行けよ」

 十二歳の栄柴巡(さかしばめぐり)は、暗い目でそう言った。目の前にいる秘上佐久夜(ひめがみさくや)は、物心つく頃から一緒にいる幼馴染だ。何をするにも一緒だったし、巡が望めば佐久夜はどんなことでもしてくれた。自分達の間には確かな友情があると思っていた。でも、そうじゃない。
「今日の舞奏披(まいかなずひらき)見ただろ? ……酷い有様だった。みんな言ってる。俺の舞奏(まいかなず)じゃ駄目なんだって。栄柴の家は終わりだって噂されてるんだ。俺じゃ駄目なんだよ……」
「そんなことはない。お前は立派にやっている」
「嘘だ! 佐久夜は俺に舞奏をやめられたら困るからそんなこと言ってるんだろ! 今日も家の人に言われてきたのか? 巡坊ちゃんのご機嫌を取ってこいってさ!」
 八つ当たりでしかない言葉を吐きかける。佐久夜の表情が少しだけ強ばった。
 ──舞奏の名家と言われる栄柴家に生まれた巡と、遠江國(とおとうみのくに)舞奏社(まいかなずのやしろ)の社人(やしろびと)の家に生まれた佐久夜は、本物の友達じゃない。
 これはかつて、同じ社に所属しているノノウに蔑み混じりで言われた言葉だ。
「お前みたいな役立たずの覡(げき)でも化身(けしん)があるから。だから秘上はうんざりでもお前に従わなくちゃならないんだ。そのことも理解しないでよく友達面出来るよな」
 そう言われた瞬間、自分でも納得してしまったのが嫌だった。そうだとすれば、上手い舞奏が奉じられない自分には、一体何の価値があるのだろう?
「俺は確かに、遠江國舞奏社の人間だ。それは変わらない」
「……だったら、」
「だが、俺は栄柴の覡と仲良くしたいわけじゃない。栄柴巡という人間と仲良くしたいと思っている」
 佐久夜はまっすぐに巡の目を見つめながら言った。
「巡。お前が舞奏をやめたいというのなら、俺は止めない。だが、そうであろうとも、俺はお前の友人でありたいと思っている」
 子供にしては、やけに仰々しい口調だ。責任を感じさせる。秘上の家でどんな風に育てられてきたかが聞いてわかるかのようだ。だが、その表情はどことなく辛そうで、佐久夜がどんな気持ちでこの言葉を言っているか──その言葉が、どれだけ掛け値無しの本当のことか、巡には分かってしまったのだった。
 ややあって、巡は言う。
「佐久(さく)ちゃん……お前、固すぎるって言われない?」
「佐久ちゃん……?」
「仕切り直すなら、渾名とか付けよっかなって。……俺、もう舞奏やめる。それでもお前、俺と一緒にいてくれる?」
 答える代わりに、佐久夜が手を差し出してきた。ごつごつとした固い手を、しっかりと握り返す。

  あれから十年以上の月日が経った。

 

「佐久ちゃーん! ねえ、芙美(ふみ)ちゃんが俺とはもう会わないって言うんだけど! どうしよう!」
 あんことライチの風味が香る紅紫色のパフェを突きながら、巡は溺れた子犬のような悲鳴を上げた。向かいに座る佐久夜は、その様を何とも微妙な顔で見つめている。
「……急に呼び出したと思えば何だ。車まで出させて」
「いやー、このカフェ最高だけど車無いとキツいじゃん? 佐久ちゃんが足になってくれる時じゃないと来づらいんだもん」
「お前だって免許はあるだろ」
「いやー、あまりに俺が遊び回るもんだから家の車使わせてもらえなくなっちゃって」
「阿呆め」
 佐久夜が厳しい目で睨んでくる。吊り目がちの目は、乱雑に伸ばされた髪と相まって威圧感がすごい。ずっとこの目に晒されてきた巡でなければ、身が竦(すく)んでいたかもしれない。
「第一、その芙美さんとやらの件も、お前がいつまでもフラフラしてるからだろう。懸想(けそう)されていたのならば真摯に向き合え」
「だって、運命の女の子かわかんないじゃん……運命の女の子かもわからないのに付き合うのもな」
「なら、そもそも勘違いをさせるようなことをしなければいい」
 厳しい口調で言いながら、佐久夜はあんことバターとバニラアイスの載った、厚切りトースト並の厚みがあるパンケーキを眉一つ動かさず黙々と食べている。巡は、この男がお腹いっぱいだと言っているところを見たことがない。どんな重量級のものが来ても黙々と食べる佐久夜は、止められさえしなければ数十人前でも平らげてしまいそうな勢いがあった。
「運命の女の子探しは俺にとって真剣なの! だって、このままだと家が決めた許嫁(いいなずけ)とかと無理矢理結婚させられちゃうかもよ? 俺はそんな血筋の為の結婚なんてやなの! それとも佐久ちゃん、木刀持って式に殴り込んできてくれる?」
「木刀を丸腰の人間に向けるのはどうかと思うが」
「たとえじゃん! たーとーえ! 今は御斯葉衆(みしばしゅう)の指導? 的なことをしてるから、お見合いもほどほどにしてもらえてるけどさ」
 遠江國舞奏社所属・御斯葉衆(みしばしゅう)は、実力の確かな元・ノノウたち三人で組まれた舞奏衆(まいかなずしゅう)だ。化身を持たない彼らを覡(げき)にすることには懸念があったが、栄柴の家の化身持ちである巡が、彼らを強く推薦することで、どうにか実現したのである。
「井領(いりょう)も小榊(こさかき)も磨屋野(まやの)もかなり良い具合に仕上がってるし、ワンチャン舞奏競(まいかなずくらべ)で勝てちゃうかもよ? そうしたら、社人(やしろびと)である佐久ちゃんも嬉しいでしょ?」
 あんこをスプーンで掬(すく)いながら、巡は言う。だが、佐久夜は真面目な顔をして返した。
「指導にあたる、か。お前自身はもう舞奏を奉じることに興味が無いのか?」
「ないない全然ない! だって、どんだけブランクあると思ってんのよ。俺はこの責任とかなんもない状態で、テキトーに口出しすんのが性に合ってるんだって。あ、でも舞奏競に出たら、素敵な観囃子(みはやし)ちゃんたちと出会えるかもしんないよね。それはちょっと惜しいかも」
「お前はそればっかりだな」
「なんとでも言えよな! 運命の女の子に出会ったら、佐久ちゃんに結婚式のスピーチ任せてやるから」
 笑いながら、巡はふと想いを馳せる。
 自分がこうして舞奏と適切な距離を取れるようになったのは、全部佐久夜のお陰だ。佐久夜が、覡ではないただの栄柴巡にも価値を与えてくれたから。傍にいてくれたからだ。そうでなければ、自分はどうなっていたか分からない。
 自分が道楽息子としてフラフラしていても、佐久夜は一緒にいてくれる。立派な社人になった今も、覡ではない巡の親友でいてくれる。
 本当は、それだけで十分幸せなのかもしれない。
「俺はね、ほんとに佐久ちゃんに感謝してるんだよ」
「なんだ、藪から棒に」
「今まで俺をすくすく健全に育ててくれてありがとう!」
「俺は育ててないが」
 佐久夜は真面目な顔をして言う。
「だが、礼は謹んで受け取ろう。光栄に思う」
 
 そんな幸福が長くは続かないことを、巡はどこかで知っていたのかもしれない。

 それは、突然の出来事だった。


 遠江國舞奏社に、来客が訪れたのだ。


 

 その日は朝から社(やしろ)が騒がしかった。
 巡の家は舞奏社の隣にある。ちなみに、社を挟んで向かいにあるのが佐久夜の家だ。この立地のお陰で、舞奏社に来客があればすぐにわかる。今日は、社がざわつくような客が来ているらしい。
 そうこうしているうちに、何故か巡が社に呼ばれた。正直断りたかったが、舞奏から逃げている身である以上、こういう社交面での呼び出しは拒否しづらい。
 果たして、遠江國舞奏社がざわめくほどの来客とは、一体誰なんだろう? 
 社の応接室に着くなり、その答えはすぐに分かった。
「やあ、栄柴巡くんだね。会いたかったよ!」
 そこに立っていたのは、九条鵺雲(くじょうやくも)だった。
 鵺雲(やくも)は、相模國の舞奏社に所属していた覡だ。だが、彼は急遽姿を消し、櫛魂衆(くししゅう)には代わりに弟である九条比鷺(くじょうひさぎ)が加入したというが。──その彼が、何故ここにいるのだろう?
「改めまして。僕の名前は九条鵺雲だよ。二十四歳! 九条家の跡取りで、楽しく覡をやっているよ。趣味は知らない街のライブカメラを見ること! あ、ちなみに弟の比鷺は天才人気実況者なんだ!」
 わざわざ説明されなくとも、重々知っている。相模國の九条家といえば栄柴と並んで──いや、それ以上に舞奏の名家だ。九条鵺雲の顔と名前なんて飽きるほど目にしてきた。
 華のある雰囲気に存在感のある佇まいは、卓越した舞奏の技量を伺わせる。そして、襟刳(えりぐ)りの大きく開いた服から覗く雷のような形の化身。鎖骨に顕(あらわ)れたそれが、彼という人間を端的に表していた。
 人形のように整った顔立ちは、薄気味悪いくらい弟の方に似ている。違いといえば、目元と口元の黒子(ほくろ)くらいだろうか? それなのに、弟とは絶対に見間違いようがないのが不思議だ。
 内心の反発を押し隠し、巡は笑顔で言った。
「どーも、鵺雲さん。俺は栄柴巡です。て言っても、覡にもならずにフラフラしてる道楽息子ですけど! ま、遠江までよーこそ。相模國の名家が一体どんなご用で?」
「わあ、名家だなんて、言われ慣れてるけど嬉しいな。栄柴家もとても良い血筋の家だものね。褒めてもらえて光栄だよ」
 鵺雲はにこにこと笑って、握手を求めてきた。
 少しだけ悩んでから、仕方なく手を差し出す。
「……聞いていた通り、とても美しい化身だね」
 鵺雲が言う。きっと、知っていて握手を求めてきたのだろう。
 巡の化身は左掌に刻まれている。日常で幾度となく意識される場所でありながら、握り込んでしまえば見えなくなる位置でもある。昔は、この位置に化身があることすらも揶揄された。舞奏が未熟であるから、隠れるような位置に化身が出たのだと。
 だから、巡はあまり人と握手をしようとはしない。気後れしてしまうからだ。気負いせず握れたのは、幼い頃に佐久夜に差し出された手だけだ。
「どんな用か言うのを忘れていたね。今日はご挨拶だけしに来たんだ」
「挨拶……?」
「そうそう。僕、遠江國に住むことになったんだ。だから、ご挨拶。引っ越し蕎麦を用意するべきだったのかもしれないけど、生憎(あいにく)僕はうどん派だからさ」
「住むって……鵺雲さんがですか? 相模國はどうしたんですか」
「ちょっと気分を変えてみたくなったんだ。ともあれ、僕が来たんだから、その土地の舞奏社に顔を出さないわけにもいかないでしょ?」
 まるで自分が覡の総代であるような顔をして、鵺雲が笑う。確かに、有名な覡であった鵺雲が、遠江國の舞奏社に来るのはおかしくないかもしれない、しれないけれど。
「それにしても、鵺雲さんといえば……櫛魂衆を出たらしいじゃないですか。一体どうしてです? 界隈もその話題で持ちきりって感じで。俺もぶっちゃけトーク聞きたいなっていう」
 自分が舞奏から退いたことを余所に、巡はそう尋ねた。九条の家の舞奏指導は栄柴に負けず劣らず苛烈だと聞いている。幼い頃からそれに耐えてきた鵺雲がうんざりしてもおかしくないとは思っていたのだが──それにしては、鵺雲の態度は以前と変わらない。むしろ、以前にも増して覡としての自信に満ちているように見える。
 ややあって、鵺雲は笑顔で言った。
「だって、櫛魂衆には比鷺がいるもの。僕だって出来ればひーちゃんと舞いたかったけれど、ひーちゃんは僕がいなくならないと独り立ち出来ないからさ。それはもう身を切るような思いで諦めたわけ」
「はあ……じゃあ、弟さんに覡の座を譲る為に鵺雲さんが引いたって感じですか?」
「譲るなんてとんでもない! 比鷺はすっごく素敵な覡だもの。真面目にやる気を出してくれていたら、僕なんかあっさりと抜かれてしまっていたはずだよ」
 鵺雲はキラキラと目を輝かせながら言う。心の底から弟の実力に感嘆している、とでも言わんばかりの表情だ。
「そんなわけで、櫛魂衆には比鷺がいるし、三言(みこと)くんもいるから。僕がいなくても大丈夫だなって思ったんだ。今回の舞奏競には他に相手になる舞奏衆がいないもの。三人全員が化身持ちの舞奏衆が無い時点で結果が見えてる」
「化身持ちって言うなら、武蔵國(むさしのくに)の闇夜衆(くらやみしゅう)とかがいるでしょ。あれ結構ヤバいっすよね。有名人揃えて歓心爆上げ的な?」
 闇夜衆は、巡も注目していた舞奏衆だった。探偵だの小説家だのの前歴を持ちながら、化身が出たという理由で覡になった異色のチームだ。舞奏の世界に全く縁の無かった彼らが鳴り物入りで入ってきたことは、少なからず他國にも衝撃を与えた。それでいて、舞奏の実力も確かなものだという。
 だが、鵺雲の反応は芳しくなかった。
「ああ、闇夜衆。闇夜衆ね」
 鵺雲の微笑みの温度がすっと低くなった。表情自体が大きく変わったわけでもないのに、彼の負の感情が伝わってくるかのようだ。蔑みとも怒りともつかない、得体の知れないものがそこにはあった。
「……何か、思うとこある、的な?」
「思うところ? 嫌だな。それだと僕が闇夜衆を目の敵にしているみたいじゃない」
「え、だってなんかあんま好きじゃなさそうだし……?」
「目の敵にするほどのものじゃないよ、彼らは」
 鵺雲が冷笑する。
「ああ、でも萬燈(まんどう)先生がいるか。実は僕、本当は萬燈先生と舞奏衆を組むはずだったんだ。なのに、僕を余所に闇夜衆なんて組んじゃうんだから傷ついちゃったよ。彼は見る目の確かな人物だと思っていたんだけど……。あとは……皋所縁(さつきゆかり)さんだね。彼は技量が全然足りていないけど、切実さはあるから好ましいと思ってるよ。何より、化身の位置がいい」
 すらすらと、鵺雲は闇夜衆の『許せるところ』を語っていく。一体どの目線で物を語っているのだろう? そう思ってしまうような口調だった。だが、それが妙に堂に入っている。まるで神が如き口調で、鵺雲は続けた。
「でも、あそこには昏見有貴(くらみありたか)がいるからね。彼を入れた時点で、闇夜衆は駄目だよ。半世紀前から、あの一族には辟易(へきえき)させられる。彼がいる時点で、闇夜衆の底が知れるね」
「昏見? あそこって何か有名な家なんですか? 聞いたことないんですけど」
「あれは舞奏の名家じゃない。カミに仇なす思い上がりの血筋だよ。なら、ここらで一つ、蝋の羽を叩き折ってあげないと」
 その口振りにぞっとした。半世紀前ということは、五十年前の話だ。一体そんな昔に何があって、報いを受けさせようとしているのだろう。
「何にせよ、僕が見据えてるのは比鷺が率いる櫛魂衆だけってことだね! はあ、楽しみだなあ……。ひーちゃんには最近全然会えてないし、電波? が悪いのか、メールも上手く届かないんだ。メールが返ってこないのは、比鷺が毎日舞奏とゲームを頑張っていることの証明だし、何なら比鷺が僕に遠慮してくれているっていうことだから悲しく思ってはないんだけどさ……。うう、弟が優しすぎるっていうのも辛いものなんだね」
 後半は本気で何を言っているのかが分からなかった。というより、鵺雲がどうして遠江國舞奏社でこんな話をしているのかがそもそも分からない。他に相手になる衆がいないから、櫛魂衆は弟の方に任せた。それはいい。
 ということは、鵺雲はここに何をしに来たのだ?
「なんか、その、俺の勘違いだったら申し訳ないんですけど……」
「うん? どうしたのかな?」
「失礼します。九条様」
 その時、応接室に佐久夜が入ってきた。
「父が、九条様にお目通りしたいと」
「わあ! 会ってもらえるんだね! 嬉しいよ。秘上の家は本当にいい社人の家系だし、君のお父上には、九条の家もお世話になったんだよ。合同舞奏披(まいかなずひらき)の時とかね」
「恐縮です」
 佐久夜が深々と礼をする。来客を優先しているからだろう、佐久夜は巡の方を見ない。当たり前のことであるのに、何故か一抹の寂しさと不安を覚えた。
「巡様とのご歓談はいかがでしたか」
「とても有意義なものになったと思うよ! 化身も見せてもらえたしね。あ、そうだ。でも大事なことを聞いてなかった」
 くるりと身を翻し、鵺雲がこちらに向き直る。
「ねえ、巡くん。君は本当に覡をやるつもりはないの?」
「俺が? 無いですよ。こんな不真面目な奴が覡になろうなんて、カミも怒っちゃうんじゃないかなー? 第一、御斯葉衆は俺なんかより上手い奴らで構成されてますから!」
「でも、彼らには化身が無い」
 撥ね除けるように鵺雲が言う。
「この不出来な僕から見ても、舞奏の技量は笑ってしまうような児戯(じぎ)ではあるんだけどね。やはりカミの目は正しい。彼らに化身が顕れない理由がわかるよ」
「……それは無いんじゃないですか? 鵺雲さんこそ、見る目ないですよ」
「あはは、気分を害しちゃったかな? ごめんね。でも、そうか。残念だよ。君の血筋なら、きっと栄柴の夜叉憑(やしゃつ)きを再現出来る。その才能を腐らせるのは損失だ」
「俺はそんなことを言われるような器じゃない」
「でも、巡くんがそう言うなら、強要するのもあれだよね。それじゃあ、会えて本当に嬉しかったよ」
 鵺雲はそれだけ言うと、佐久夜を連れて出て行ってしまった。
 嫌な予感がする。まるで天候が変わる前だ。空模様が変わり、雷雨がやってくる。この地は雷が縁深く、巡は雷三神社に何度も参ったことがある。

 だからだろうか。何かが起こる時、巡はいつも雷を連想する。 

 遠江國・御斯葉衆が解散したという話を聞いたのは、その翌日のことだった。


 

 寝耳に水であるという気持ちと、やはりそうなったかという気持ちが綯(な)い交ぜになる。決まってしまった以上、この決定は覆らないのだろう。自分が推薦した三人のノノウ達の顔が代わる代わる浮かんできた。
 だが、彼らは巡に訴えてはこなかった。ただ粛々と、社の決定を受け容れたというのだ。
 そんなことがあっていいはずがない。たった一人の化身持ちが現れただけで、今までの御斯葉衆が解散されていいはずがない。
 だが、昨日と同じように応接室で待っていた鵺雲は、平素と変わらない様子だった。一つの舞奏衆を崩壊させたとは思えないような佇まいでくつろいでいる。
「こんにちは、巡くん。ご機嫌どう?」
「……御斯葉衆を解散させたんですか」
 分かりきっていることを、わざわざ尋ねる。昨日、舞奏社の実質的な最高責任者である秘上家の人間に会っている時点で気づくべきだった。これが、鵺雲の目的だったのだ。
 だが、鵺雲は少しも悪びれることなく、薄い微笑を浮かべた。
「だって、素晴らしき遠江國の舞奏衆が化身も持っていない紛い物の覡で組まれるなんて……耐えられないでしょ?」
「紛い物なんかじゃなかった! あいつらには……実力が、」
「彼らは、むしろ自分から辞退を申し出たんだよ。僕が遠江國舞奏社に所属すると言ったらね」
 それは、実質選択肢が無いじゃないか、と巡は思う。目の前の男の実力は知っている。彼を差し置いてまで舞台に立つプレッシャーに、並の人間が耐えられるはずがない。
「……三人全員降りるんですか」
「そうなるね」
「でも、それじゃあ困るんじゃないですか? まさか、鵺雲さん一人で舞うわけにもいかないでしょ」
 もしかして、ここから巡が誘われるのだろうか。そう身構えていると、鵺雲は思いがけないことを言った。
「一人はもう見つけてあるんだ。純然たる化身持ちの覡をね」
「それも余所から引っ張ってきたんですか?」
「いいや。君もよく知っている人物だよ」
「俺も、よく知っている……」
「佐久夜くんだよ。秘上佐久夜くん」
 一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「佐久ちゃんが覡になる? 冗談だろ? だって、そもそも佐久ちゃんは化身持ちじゃ──」
「佐久夜くんはね、昨日化身を発現したんだ。社人として覡を支え続けてきた功績が、カミに認められたのかもしれないね」
 そんなはずない、と言おうとしたが、言葉が出てこなかった。鵺雲は冗談を言っているわけじゃない。本気なのだ。
 佐久夜に化身が出ることなんて想像していなかった。そんなことが起こるなんて。
「というわけで、僕と佐久夜くんが新たな御斯葉衆になることにしたんだ。楽しみだよね」
「ちょっと待ってくださいよ、だって……」
「そんな悲しそうな顔をされると、僕まで悲しくなっちゃうよ。うんうん、わかってるよ。佐久夜くんは大切なお友達なんだもんね」
 自分がどんな顔をしているのかわからなかった。ショックを受けているのだろうか。それとも、これから来る嵐に怯えているのだろうか。
「これからも全然仲良くしてくれて構わないよ。ただ、僕らは同じ衆の仲間で、君は違う。これからはそこをちゃんと弁えてくれるかな?」
「弁える……」
 言われたままに繰り返す。
「だって、舞奏衆なんだもの。栄誉なことでしょう? それがどれだけ優先されるべきもので──実際に優先されてきたか、栄柴の覡である君なら分かっているはずだよね?」
 その通りだ。舞奏衆を組むということが、どれだけ重いことかを知っている。だからこそ、目の前にいる九条家の跡取りと、自分の親友である佐久夜がその絆を結ぶということが理解しがたかった。覡としての役目から逃げ出した自分が、そんなことを考えるなんてあってはならないのに。
 佐久夜は、ずっと巡の傍にいてくれた。どんな時でも、巡を支え続けてくれた親友だ。それは、これからも、どんなことがあっても変わらない。本当に?
「佐久ちゃんは──覡になることを了承、してるんですか?」
「勿論だよ。僕が嫌がる佐久夜くんに強要すると思う? 何なら、本人に聞いてみるといい」
「そうします」
 間髪入れずに、巡は答えた。
「俺は、俺から……佐久夜の本当の気持ちを聞かせてもらう」
 頭の端で、雷鳴が轟いている。何故だろう。
 いいや、そうやって問い直すことすらただの現実逃避だ。佐久夜に救ってもらい、覡であることから逃げ出した自分は、いつかツケを払わなければならないんじゃないかと思っていた。それが今日なのだ。晴れ渡る空はもう何処にも無い。嵐は来る。
 彼の元に向かっている最中から、巡は佐久夜の返答を察していた。何しろ、二人は親友なのだ。
 それでも、目覚めに愚図る子供のように、本人の口から決定的な言葉を聞くまで、巡は諦められなかった。




著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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©神神化身/ⅡⅤ