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小説『神神化身』第二部 第十五話 「暗線」
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小説『神神化身』第二部 第十五話 「暗線」

2021-08-06 19:00

    小説『神神化身』第二部 
    第十五話

    「暗線

    「ピアス開けるのはダメって言われた。俺もう覡(げき)とかやんないのに、結局そーいうこと言ってくんだもんなー!」
     巡(めぐり)がそう言って不貞腐れていた日の教室を覚えている。外は大雨が降っていて、巡が雨宿りをしていこうと言ったのだ。だが雨は全く弱まる気配が無く、むしろ巡の提案した雨宿りが自分達を二人きりの放課後に閉じ込めている始末だった。
    「……駄目だと言われたのなら大人しく従え。耳に穴を開けることの何が楽しいんだ」
    「えー、佐久(さく)ちゃんお洒落とか分かんねーの? 校則的にもオッケーなのに、なんで今になってこんなの止められなくちゃいけないんだよー! 俺絶対似合っちゃうのにー!」
    「自分で言うな。おめでたい奴だな」
     佐久夜(さくや)達が通っている高校は、地元でも校則が緩いことで有名なところだった。ピアスを含め、制服の着崩しなどもある程度容認されている。この高校の進学に際してすら、巡は家と揉めに揉めた。最終的には家の側が折れたのだが、半年ほどは戦っていたはずだ。
     進学の許可が出た時、巡は心底嬉しそうだった。自由に学校を選ぶことが、これから先の幸福を保証してくれると言わんばかりだった。
    「俺、あの高校に佐久ちゃんと通うの夢だったんだー! 絶対楽しい学校生活にしようね!」
     巡の中では、当然のように佐久夜も同じ進路を選ぶことが決まっていたが、そのことについては異存も無かった。その高校は校則の緩さと共に、偏差値が高いことでも有名だったが、勉強時間を増やすことくらい苦手にもならなかった。
     佐久夜は巡の望む高校に入学した。栄柴(さかしば)の家からは、佐久夜が同じ場所に進学すれば安心だ、と言われた。
     そして、今だ。二人きりの教室で、巡がピアッサーを二つ取り出す。
    「でも、それで怯む俺じゃないから! いつまでもそんなの律儀に聞いてらんないっつーの! というわけで、勝手に開けちゃおうかなと」
    「開けちゃおうかな、じゃない。やめろ」
    「いいじゃんいいじゃん! 佐久ちゃんまでそんなこと言わないでよ!」
     舞奏(まいかなず)をやめた巡のことを、栄柴の家はちゃんと受け容れている。本人の意思を尊重し、表立って何かを言うことはない。
     だが、彼らが心の奥底で諦めていないのは明らかだった。何かしらの奇跡が起こり、巡が覡として復帰することを期待している。この高校への進学も、ピアスを開けることも、その奇跡を遠ざけるものだと認識しているのだろう。だから、難色を示すのだ。
     もう一度、机に置かれたピアッサーを見る。これは、奇跡を遠ざけるものだろうか?
    「でさ、……お願いがあるんだけど」
    「断る。お前が神妙な顔つきをしている時はろくなことじゃない」
    「お願い! 一生のお願いだから!」
    「この間も同じことを言っていたぞ。お前の一生は何度あるんだ」
    「この一度きりだけど! お願い佐久ちゃん!」
     巡の目がしっかりと佐久夜を捉える。お願いではなく、もっと強制力の強いものがそこにあった。
    「佐久ちゃんも一緒に開けてよ」
    「──……は?」
    「佐久ちゃんは社人(やしろびと)になるわけじゃん? ピアスってそんな喜ばれないだろうし、そもそも秘上(ひめがみ)家ってそういうの厳しそうだし」
    「分かっているなら何故俺にそれを頼む。話にならん」
    「だーかーらー一緒に怒られようよー! 品行方正な佐久ちゃんと一緒なら、ちょっと怒りも薄れるような気がする! ね、ね、お願い!」
    「その状況であれば、お前が無理矢理開けさせたように映るだろう。怒りを静めることにはならない」
    「正論ばっか言ってー! うわーん! 佐久ちゃんの薄情者ー!」
     巡が大仰な泣き真似をしてみせる。自分がピアスを開けたらどうなるだろうか。家は当然として、舞奏社(まいかなずのやしろ)にも苦言を呈されるかもしれない。一番反応が芳しくないのは出入りしている道場だろう。全く気が進まない。
     ピアッサーが二つあったのもこれが理由なのだろう。てっきり巡の右耳と左耳用だと思っていたのだが、そうではない。案の定、巡がとっておきのお楽しみを披露するような顔で笑う。
    「でも、これってちょー青春っぽくない? 一緒に思い出作りしようよ。ウチの先輩には安全ピンで開けた人もいるっていうよ? 佐久ちゃんがいるからちゃんと道具揃えたのにー!」
    「余計なお世話だ。第一、俺がどうこうじゃなくても、お前は適切な用具を揃える人間だろう」
    「佐久ちゃんなら分かるでしょ! 俺にとっては、とっても重要なことなの。これさえ開ければ、俺は栄柴の家の覡じゃなくて、ただの栄柴巡になれる気がするんだよ」
     後半にいくにつれ、どんどん真面目なトーンになっていくので、佐久夜の方も真面目に聞かざるを得なくなってしまう。外の雷鳴は更に酷くなってきていた。そろそろ諦めて、栄柴の家の使用人に車を出してもらうべきかもしれない。
    「佐久ちゃんだって、そっちの方がいいでしょ?」
     巡がそう言った瞬間、佐久夜はピアッサーの箱を手に取った。乱雑に開け、玩具のようなプラスチックのそれを耳に当てようとする。
    「ちょちょっ! ちょっ、ちょっと待って!!」
     巡が慌てた様子で佐久夜の腕を掴む。ピアッサーが二人の間で随分所在無げにしていた。
    「何だ。お前が開けろと言ったんだろう。いいか、この経緯自体は説明させてもらうからな。お前はお前で勝手に怒られろ。俺は知らん」
    「そうじゃなくて!」
     言いながら、巡が佐久夜の手を──ピアッサーを持った手を、自身の耳元に引き寄せた。
    「折角ならお互いに開けようよ。これもいい思い出になるだろうからさ」
     改めて見ると、ピアッサーに付いている針は鋭く、皮膚を突き破る為のものだと意識させられる。恐ろしかった。だが、自らの手は既に針を巡の耳朶(じだ)へと向けている。言われるがままに、この手が覡ではないただの栄柴巡を縫い止めようとしている。
     手が震えないよう細心の注意を払った。動揺を悟られるわけにはいかなかった。この行為が栄柴巡を覡から遠ざけるのなら、今すぐ放り出してしまいたい。
    「針、斜めに入んないようにしてね」
    「注文が多いな。俺は鍛えてる。問題ない」
    「あはは、それ関係あるー?」
    「笑うな。手元が狂う」
    「ねえ、初めて? 人に開けんの」
    「ああ。そして、これっきりだ」
     ピアッサーを押し込んだ瞬間、窓の外が奇妙に明るくなった。雷が空を貫き、轟音(ごうおん)が鳴る。
     佐久夜は今でも、鼓膜を揺らしたその音が、自分の用いた器具によるものだったのか、雷のものだったのかの判別がつかない。


     父親である秘上和津見(かずみ)は佐久夜の父親である前に、社人の師だった。幼い頃から、和津見は自分に社人になる為の全てのことを教え込んだ。礼節と伝統と忠義──秘上家が大切に懐に秘めているもの、全てだ。
     こうして舞奏社で向かい合っていると、佐久夜はあの雷鳴の日を──ピアスを開けた時のことを思い出す。いかにも高校生がやりそうな、反抗と呼ぶにはあまりにも模範的な背伸びのことを。
     つつがなく巡の耳朶に針が通ると、今度は佐久夜の番だった。身体の一部に針が通るのだから、それなりの痛みは覚悟していた。だが、それは想像よりもずっと他愛の無いことで、期待していたような痛みすらなかった。その時初めて、佐久夜はこの行為に一種の自罰的なものを見出していたことに気がついた。
     あの行為はさしたる一線でもなかったわけだ。
     叱責を受ける覚悟でいたというのに、和津見が佐久夜を叱ることすらなかった。事の次第を聞いた和津見は、佐久夜の耳に視線を向けると小さく頷いた。
     それが正しいことだと認められたのだ。最初は意外に思ったが、すぐに納得した。秘上家は、栄柴家に特別の忠節を誓っている家である。栄柴家の子息が望んだことであれば、間違いであるはずもない。そういうことだ。
     けれども、和津見は同等の敬意を九条鵺雲(くじょうやくも)に対しても払っている。栄柴が特別なのではなく、カミに通ずる血筋こそが尊ばれているのだと、改めて強調するかのように。
    「御斯葉衆(みしばしゅう)はどうだ。覡主(げきしゅ)の件は」
     顔を合わせるなり、和津見はそう尋ねてきた。佐久夜にそのまま年齢を重ねさせたかのような顔には、物々しい表情が浮かんでいる。
     覡主というのは、いわゆる舞奏衆のリーダーのことだ。遠江國(とおとうみのくに)では──というより和津見は、今でもこうして古めかしい言葉を使う。
    「御斯葉衆の覡主はまだ定まっておりません」
    「何故だ。鵺雲様も巡様も覡主を譲らないということか」
    「そうではありません。むしろ、互いに譲り合う形になっています」
     水面下では必ずしもそう言えないが、表面上ではそうだ。
    「ならば、お前が覡主を推薦する形になるだろうが」
    「……はい」
    「お前の見立てでは、どちらを?」
     少し悩んだが、佐久夜は正直に言った。
    「九条鵺雲様の方を」
    「なら迷うこともないだろう。覡主は決まりだ」
     有無を言わさぬ口調で和津見が言う。これで話が打ち切られてしまいそうな気配を察して、佐久夜は慌てて言った。
    「ですが、遠江國は代々栄柴の家の覡を覡主と定め、御斯葉衆を組んで参りました。
    相模國(さがみのくに)の九条家を覡主に据えることは、遠江國の伝統に反するのではないでしょうか」
     そうして、佐久夜の判断を裁いて欲しかった。遠江國舞奏社の決定として、栄柴巡を覡主に据えろと命令されたい。そうすれば、佐久夜はこの責から逃れられる。
     だが、和津見は緩く首を振って答える。
    「伝統とは遠江國だけのものではない。舞奏そのものにも拠る」
    「……それは」
    「覡主を鵺雲様に据えることで舞奏の豊穣がもたらされるのであれば、遠江國の栄柴家を無理に立てる必要はない」
    「無理に立てようとしているわけではありません」
     咄嗟に佐久夜はそう反論する。
     巡の舞奏が劣っているわけではない。だが現状、巡の舞奏は不安定だ。ここから先、安定と発展が見込めたとして──覡主に据えるような舞奏を奉じる方向に向かうかどうか。
     その点、鵺雲を覡主に据えた場合は安定するだろう。
     鵺雲は卓抜した華のある舞奏を奉じる。巡はそれを受け、彼に向けての舞奏を奉じるだろう。競い勝つ以外に、巡が満足する道は無い。命を取らんと掛かってくる巡を抑えるべく、佐久夜は鵺雲の舞奏を補佐する。
     それが最も安定の取れる御斯葉衆の舞奏であり──栄柴巡が最も抵抗を示すだろう舞奏だ。
    「いずれは決めなければならないことだ。現状の御斯葉衆は舞奏競から大きく遅れている。大祝宴(だいしゅくえん)に辿り着こうとするならば、相応の動きをしなければ」
    「……出遅れたところでさしたる障壁にはならないかと」
     佐久夜は静かに言った。
    「御斯葉の舞奏にはそう申し上げるに足るものがあります」
     そのことだけは譲れぬ一線だった。
     誇るに足るものが、矜持(きょうじ)の載るものが、御斯葉衆にはある。
     だからこそ、佐久夜はこうまで残酷になれるのだ。


     この日の夜も、佐久夜は鵺雲に呼び出された。いつものホテルか旅館で落ち合うのだろうと思っていたが、彼が指定したのは真夜中の舞奏社だった。正確に言うのなら、その近くにある小さなブランコだ。彼は長い手足を持て余すようにして、ブランコに座っている。このブランコはかつて佐久夜と巡が並んで漕いでいたもので、子供時代の象徴のようなそれに鵺雲が座っているのには違和感を覚えた。
    「あなたの考えていることは、よく分かりません」
    「そうかな。分かりやすいと思うけどな」
    「少なくとも俺には理解出来ません」
    「理解出来ないついでに座りなよ。こんな場所にあったということは、巡くんとこれで遊んだりしたのかな」
    「本当に幼い頃は」
     隣のブランコに座りながら、佐久夜はそう答える。
    「想像出来るなぁ。佐久夜くんの小さい頃も、巡くんの小さい頃も」
    「あなたはどのような子供だったのですか?」
    「至って普通だよ。舞奏が好きで、稽古をきちんとしていた。お友達に恵まれて楽しく過ごしていたし、幸せだった。苦手な科目は特に無かったけれど、球技の時はちょっぴり突き指が怖かったよ」
     まるで真っ当な子供時代を送ってきたかのような顔をして、鵺雲が笑った。いや、彼は真っ当な子供時代を過ごしたのかもしれない。彼が翳(かげ)るようなところを、佐久夜は想像が出来ない。
    「昼、父に覡主の件を尋ねられました」
    「へえ、和津見さんに」
    「父も──あなたを推すべきだと。私がそう見定めたのなら、なお」
     その一言に込められた煩悶(はんもん)を察したのか、鵺雲はブランコの鉄鎖を鳴らしながら笑顔で言った。
    「佐久夜くんは難しく考えすぎなんだよ。君がとある画家の描く絵のファンであったとして、その画家が筆を折った場合に何を愛するのか、という話なんだよ。サッカーをやめたサッカー選手、物語を紡がなくなってしまった作家、爪弾かなくなった三味線奏者、美しさを失った女神の似姿、その抜け殻を愛そうと努めることこそ痛ましいと思わない?」
    「……あなたは、自分がもし舞奏を奉じることが出来なくなったら、どうなさるつもりですか」
     佐久夜は思わずそう尋ねていた。
     嫌みを言うつもりはなかった。脅そうとしたわけでもない。
     ただ、純粋に尋ねてみたくなったのだ。九条鵺雲という人間の支柱にある舞奏というものを失った時、この男を立たせるものは何なのだろうか。使命感か、血への誇りか。それともこの男であろうとも、舞えぬ身になれば絶望の前に額ずくのだろうか。
     だが、鵺雲は歌を聴かせる時と同じ朗々とした声で言った。
    「碧落(へきらく)に雷火の舞台無し」
     その顔には、変わらぬ笑みが浮かんでいる。
    「僕が舞台に求められなくなるのなら、その時が九条鵺雲の幕引きだ。それ以上でもそれ以下でもない」
    「……あなたは、」
     その先に続く言葉が見当たらなかった。強い、と当たり前のことを讃えることも、恐ろしい、と分かりきったことを伝えることも、あるいはその有り様に焦がれる言葉を吐くことすら適切ではない。──仮に、鵺雲が舞奏の才を失い遠江國を去ることになったら、自分はどうするのだろう。そんな想定をする自分すら、心の深奥には存在していた。自分と目の前の男は、一連における共犯者でしかないのに。
    「実は、御斯葉衆の舞奏披(まいかなずひらき)を月末に、と思っているんだ」
     佐久夜の沈黙を寛大に見逃すべく、鵺雲が次の話題を振った。
    「……そんなに早く?」
    「うん。きっと大丈夫だよ。何なら、その時の具合で覡主を決めるのもいいんじゃないかと思っていて。面白い趣向だと思わない? 君が僕を買ってくれているのは理解しているけれど、巡くんの舞奏を観る限りその化身に恥じないだけの実力はあるようだし」
     それはつまり、公の場で鵺雲と巡を競わせるということと同義ではないのか。それが御斯葉衆にとってどのような結果を引き起こすのかを想像するだに肝が冷えた。鵺雲はその先すらも見据えているのだろうか。
    「…………巡にも、意向を尋ねましょう。俺達だけの御斯葉衆ではありません」
    「その時は説得してよ。頼りにしてるからね、佐久ちゃん」
    「……その呼び名、やめて頂けませんか。巡に呼ばれるのすら抵抗があるもので」
    「そうだね。巡くんに怒られそうだし。彼ってば面白いよね。単なる呼び名で、何かを占有出来た気になってるんだから」
     鵺雲が笑う。その目が佐久夜の耳に今もなお光るピアスに向けられているような気がして、思わず身動いだ。案の定、鵺雲が言う。
    「そのピアス似合っているね」
    「……ありがとうございます」
     飾り気も何も無い、極力目立たないものだ。あの時のファーストピアスとさして変わりない。巡が派手なものを選ぶのとは反対に、佐久夜はこのスティグマを目立たないものにしようと努めてきた。
     あの時と変わったことがあるとすれば、バランスを取る為に両耳に開けたことだろうか。巡に開けられたものと、自分で開けたものだ。
     そうして鵺雲は、明日の天気でも尋ねるような気安さで言った。
    「もう片方は、自分で開けたの?」




    著:斜線堂有紀

    この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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