この前はイルカの上に乗っかってきましたしねえ、わたくし。
山本 デヴィ夫人、ボクは昭和21年生まれなんです。
デヴィ夫人 わたくしより6歳若いですね。
山本 いま67歳です。ボクは田舎育ちで、山口県で生まれて、都会に脱出したいと思ってたんですけど。
デヴィ夫人はそういうボクの思惑を越えて、昭和30年代に日本からポンと脱出した。とんでもない女性がいるんだなと思ってました。
そんな方と今日お会いできたことは、その、なんというか、すごく光栄です!
デヴィ夫人 ありがとうございます。
山本 デヴィ夫人、21世紀は女性の時代になってますよね。
デヴィ夫人 そうですね。いま女性の方がパワフルですね。
山本 デヴィ夫人はその先駆けというか、先駆者というか、パイオニアというか。そのパワフルな生き方の根源というのはどこにあるんでしょう?
デヴィ夫人 わたくしは人の3倍働いて、人の3倍努力して、人の3倍勉強して、人の3分の1の睡眠時間で生きてきました。
その中で一つだけラッキーだなと思うことは、戦争の経験があることと、貧しさの経験があること。
やっぱり貧しいということは、すべてのパワー、エネルギーの源だと思うんですね。
山本 ハングリー精神ですね。
デヴィ夫人 貧しさというものはその人にエネルギーとかパワーとか目的とか目標とかいろいろなものを与えてくれますから。
それを持たなかった人はダメになるかもしれませんけれども。わたくしは上昇志向がありましたし、勉強に対しても非常にハングリーでした。
若い頃は、1週間は10日間、1日は30時間ぐらいのつもりで勉強をして仕事をしました。
山本 ボクが『週刊プロレス』の編集長時代に24時間働いてたのと一緒ですね。
デヴィ夫人は自信と信念を貫いていく生き方をしてますけど、普通、日本人は群れて生きますよね。
デヴィ夫人 そうですね。右を向けと言えば右を向く。
山本 「長い物に巻かれろ」。
デヴィ夫人 そうですね。そういう日本の諺、わたくし大嫌いですね。「臭いものには蓋をしろ」とか。
山本 「寄らば大樹の陰」とか。
デヴィ夫人 そういう言葉にはすごく抵抗を感じます。そういう考え方が日本人を悪い島国根性にしてますね。最悪だと思います。
山本 最悪!
デヴィ夫人 ええ。日本のマスコミもそうですね。日本を悪くしたのは政治家とマスコミだと思います。一部のマスコミは腐ってます。
山本 ボクも一応マスコミだったんですけど……。
デヴィ夫人 本は何を書いても売れればいいという姿勢。いいものを書いたら絶対に売れるんですよ。
それをあなたたちが勘違いしている。テレビもそうですね。いいものを作れば絶対に視聴率が取れます。
でも、いまは笑わせればいいんだみたいな感じで、どんどんどんどん低俗になってる。
山本 大衆に迎合した安易な方に流れていきますよね。
デヴィ夫人 ええ。
山本 でもデヴィ夫人、そういうことを言うとどんどん孤立していきますよね。普通の日本人はそれを嫌がるわけですよ。
デヴィ夫人 わたくしは本当の贅沢を得た数少ない人間の一人だと思ってます。
山本 本当の贅沢!
デヴィ夫人 本当の贅沢というのは精神的にも物理的にもまったく独立していること。
だからわたくしはどこの女王であろうと喧嘩しようと思えばできるし、どこの大統領だろうと討論しようと思えばできます。
わたくしは誰とでも対等。完全独立する。それが本当の贅沢だと思います。
山本 それは持って生まれた先天的なものなんですか? それとも後天的なものですか?
デヴィ夫人 先天的であるはずがないでしょ。わたくしの人生、0から始まっていますから。
いつ0に戻っても怖くないです。必ずやり直します。一人になっても。
山本 はああぁぁぁ……。いまボクは、デヴィ夫人の目を見て衝撃を受けましたよ。その強い目力に。
デヴィ夫人 ああ、そうですか。
山本 ボクは所詮、先天的なもので人生すべて決まるのかなと思ってたんですけど。
デヴィ夫人 全然それはないと思いますね。先天的なもので決まるんだったら、三井家だって、三菱の岩崎家だって、カルティエだって、ヴァン クリーフ&アーペルだって、ハリー・ウィンストンだってずっと繁栄してますよ。
でも、アメリカのフォード家だって3代しか続かなかったじゃないですか。ロックフェラー財団だっていま曾孫の代ですけど、名声は残ってるとしても財界にどれほどの影響力を持ってるか。
山本 デヴィ夫人がいまのような生き方、考え方になったターニング・ポイントというのはどこにあったんでしょうか? 日本を出てからですか?
デヴィ夫人 いや。日本を出る前からわたくしは英語がペラペラでしたし。大統領と結婚できたのも結局は会話力があったからだと思いますし。
その頃にはもう物怖じしない人間に育ってました。30代までにすべての苦労をしてしまったかなと思うぐらいに人生経験を積んでましたし。
大統領にお目にかかった時に、神様がわたくしのことを非常に愛してくれていて、わたくしにわざわざいろんな試練を与えて強い女性にしてくださった。
それはすべて大統領にお仕えするようにわたくしを用意してくださったんだ、ぐらいに思ってました。
山本 日本にいた頃のさまざまな試練は神様がくれたご褒美だったと。
デヴィ夫人 私はカソリックですごく信心深い女性だったんですね。すべては神の試練と思ってました。
大統領にお会いした時も神の天恵だと思いましたし。
山本 我々は普通、両親から強い影響を受けて育ちますよね。デヴィ夫人の場合はどうだったんですか?
デヴィ夫人 父親は非常に義侠心に富んだ人だったんですね。
山本 大工だったんですよね。
デヴィ夫人 ええ。棟梁だったから、みなさんの面倒見が良かったし。戦後、焼け出された人たちはお金もないわけですよ。
そういう人たちのために家を建ててあげてましたからね。だからウチはいつも貧乏でした。とにかくお金を取れない人の家ばかり建ててましたから。
わたくしは西麻布に生まれましたけど、疎開から帰って来た時は一面、焼け野原で、ぺんぺん草がわたくしの背より高く伸びてました。
山本 その0の風景の中からデヴィ夫人の戦後の人生はスタートしたんですね。
デヴィ夫人 そうですね。子供の頃は食料がなかったですから。
山本 そういう生活の中で英語を学ぼうと思ったきっかけは何だったんですか?
デヴィ夫人 わたくしのウチの裏側に近衛第3連隊というのがありまして。そこが戦後、アメリカ兵の駐屯地になったんですね。
ですから、日本人の99・9%が外国人を見たことがない時代に、わたくしは小さい頃からアメリカ人を見て育って、彼たちの英語を全部、覚えたんです。
山本 身近に英語がある環境で育ったわけですね。
デヴィ夫人 ええ。ただ、同じような環境で育っても英語に興味を持たない子供たちもいっぱいいましたけど、わたくしは絶対に彼らたちが話している英語を勉強したいと思いました。
夜空の星を見上げて「日本にとどまっていたくない。世界に飛び出したい」と思いました。それには外国語が必要だと思いましたから。
山本 デ、デヴィ夫人! あの時代に「私は世界に飛び出す」と星を見て誓ったんですか!
日本人の中では突然変異的なパワーをお持ちですね。
デヴィ夫人 わたくしは小学校に上がる頃から一家を背負ってましたから。
食料を調達してくるのはわたくしでしたから。母は脚が悪くて歩けない状態でしたから。
母の代わりに闇屋のおばさんと一緒になって、お米やジャガイモやトウモロコシを千葉県まで買い出しに行ってましたからね。
山本 その時代の経験はデヴィ夫人の人生に大きな影響を与えたわけですね。
デヴィ夫人 そうですね。「働かざる者、食うべからず」だと。
だから、いまなんでフリーターがあんな大きな顔してテレビに出てるのか?わたくしは面白くないですね。
山本 いまフリーターの全盛時代なんですよね。ムカつきますか?
デヴィ夫人 ムカつくというよりも、日本は終わるんだろうなと思いますね。
ああいう子たちばっかりが育っていくんでしたら。誰が日本を背負っていくんですかね?
山本 はああぁぁぁ……。これはビックリしました。
テレビで見ているデヴィ夫人って、バラエティー番組でゴボウを掘ったりしてる印象が強いんですけど。
すいません、こんなに哲学的な人だとは思いませんでした。
デヴィ夫人 ああ、これが本当のわたくしです。わたくしはすごく厳しい人間です。
テレビはバカなことをやらせてくれるから出てるんです。あんなくだらないバカなことをさせてくれるのはテレビだけですから。
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