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第14回 ジャンピングハイキック。


シュートボクシングとUWFにはいろいろな縁がある。そもそもシーザーさんが旧UWFとの交流の中でカール・ゴッチさんと出会い、そこから生まれた発想が、シュートボクシングが誕生した大きな理由なのだ。

当時のキック界に嫌気がさしていたシーザーさんは、「世界にはいろいろな格闘技がある」というカール・ゴッチさんの言葉に触発されて、キックに拘らない立ち技の格闘技を新しく創り出す決意をした。それがシュートボクシングの始まりなのだ。

当時、シーザーさんと交流のあった旧UWF、そして佐山さん。旧UWFの選手達に打撃を教えていたのが旗揚げ前のシーザーさんだった。最初に競技名を“シューティングボクシング”と考えたシーザーさんに「ingが2つあるのはおかしい」とアドバイスしたのが佐山さん。こんな感じでシュートボクシングには旧UWFとの不思議なご縁があった。だからシュートボクシングには旧UWFに憧れた身体の小さな選手が日本中から集まってきた。

あの頃、旧UWFに憧れながらも身体が小さいという理由で一度は諦めた若者が、競い合うように集まった場所がシュートボクシングで、その総本山がシーザージムだった。総合格闘技のプロはまだ無く、体重制もなかった時代。シーザージムには溢れかえるようなエネルギーを絞りつくすような練習が毎日行われていた。大村勝巳、阿部健一、大江慎、双子の香取兄弟、津山圭一……みんなチャンピオンになった。みんな最初は素人だった。みんなここで強くなった。何かがみんなをここに集めた。

香取兄弟は同じ日にシーザージムに来ている。双子なのに相談しないで、それぞれ内緒で来た。自分がシュートボクシングをやることはお互いに内緒なのだ。初めにシーザージムに来たのは弟。その日に入会してそのまま着替えて練習をしてた。そこにそっとシーザージムのドアを開けてやってきた兄貴。