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第8回 ブラックバイト場から、伝説のチロルの恋へ(ミッキーの「青春の挫折」革命編)

青春は、いつの時代も吐き気がするほど恥ずかしいものだ。
青春を美化したり、懐かしむ奴ほど、自分の過去を正視していない。

よって、これから書くオレの青春時代の話も美化しないように振り返るつもりだ。

1970年春、オレは高校を卒業する。
前年の1969年1月には、東大安田講堂の封鎖解除。警視庁機動隊8500人が出動、催涙ガス弾4000発が打ち込まれた。
実はオレは、機動隊が出動した1月18日にこの安田講堂の現場にいた。「全共闘」にシンパシーを感じ、革命を夢見ていた幼稚なオレはいてもたってもいられず、とにかく現場にいたかったのだ。

あの頃は機動隊も牧歌的だった。
というのも、今では誰も信じないだろうが、オレたち全共闘系の学生らがコンクリートをはがして投石用の石をバケツリレーの要領で、石を手渡しして運んでいるのを機動隊は制止することなく傍観していたのだ。
《※編集部注:ここらへん文章的には「石」が多い気がするけど、原文ママ》

オレも学生らと一緒に石を運んでいた。

そのまま安田講堂に入って機動隊と戦いたかったが、党派(革マルとか中核など)に属していないオレにはツテがなく、あきらめざるをえなかった。また、機動隊と戦ったところで、それが革命には繋がらないと考える「冷めたオレ」がいた。美化しないでいうと、正直、「ビビリまくるオレ」がいたのである。

だって、催涙弾があたって失明するのが怖かったし、機動隊にボコボコにされるのはまっぴらゴメンだったんだも〜ん。
《※編集部注:正直だと思うんだも〜ん》

当時、高校の寮にいたオレは、翌日のニュースの「安田講堂攻防戦」をテレビで見ながら、怒りと落胆で胸が張り裂けそうだった。
「これから学生運動は後退していくだろう」という思いでシラケてしまい、カラダ中に脱力感が覆っていた。

そして1970年春の自分の高校卒業式を迎える。

当時、大学だけでなく、学生運動は一部の高校にも飛び火して、1969年の10月には都立立川高校バリケード封鎖。全国の高校49校で高校闘争が行われた。オレも立川高校に闘争に参加している友人がいたので、バリケード封鎖のときには机や椅子を積み上げる手伝いもした。

こう書いていて気づいたが、オレって「手伝い」ばかりで、自分の学校では目立ったことを何ひとつしていないなあと。

そのことは当時のオレも思っていて、所属していた「社会科学研究会(いわゆる社研)」で、「うちの高校でもバリケード封鎖しようぜ!」と提案するのだが、誰も賛成してくれないのだ。いまだにそうだが、オレはどうもオルグ(扇動)が下手というか、人を信じていないとこがあるようだ。

イラだったオレは、卒業式に一人で行動を起こすのだ!
《※編集部注:いよ! 待ってました、ミッキー!》 

卒業式、司会役の先生が開会の挨拶をした、そのすぐあとだった。
オレはスクっと立ち上がると、大声で怒鳴った!

「現代の高校教育は受験教育ばかりで、真の教育を行っていない。よって、そんな教育をオレは断固として拒否する。それを表明するために、この卒業式をボイコットする!」
こう宣言すると、オレは大股で堂々と卒業式の講堂を出ていった。