初潮の翌々日も、学校から帰宅してすぐ、私は図書館に行った。私は今まで覗いたことのなかった書架の前で、目当ての本を探した。昨日、自宅の本棚で、家庭の医学や母が以前読んだらしい妊娠や出産関連の本を読んでいたら、
「初潮が来たからって、まだ早いわよ」
と、母に取り上げられた。子供が体のことに目を向けるのはいけないことなのだろうか。
西の祖母は、膣の洗い方まで教えてくれたのに。母はそういうことを口にすることさえ汚らわしいと思っているようだった。
私が体について尋ねると、困惑と軽蔑の入り混じった表情で、
「そういうことは知らなくて良いの。誰からそんなことを聞いたの。怒らないからお母さんに教えて頂戴」
と言って、発信源を聞き出しては、「今の子は早いわねえ」と知り合いに吹聴して話に花を咲かせていた。
私が、口を噤んだら、犯人探しに躍起になって電話を掛けまくった。そのため、私は母と女性の体について語ることを避けるようになっていたのだ。
図書館には、女子の体の成長について、イラストや写真付きで分かりやすく解説された本がたくさん置かれていた。
成長ではなく、「性徴」という言葉も初めて知った。第二次性徴の発現期の代表的指標が初潮であるという。思春期という言葉にはくすぐったさを感じた。私は、何歳で初潮が来ることが普通なのか知りたかった。
欧米における初潮年齢の推移のグラフを興味深く眺めた。十九世紀にアメリカは十四歳であるのに、イギリス、イタリアは十五歳、フィンランドは十六歳なのだ。しかし、二十世紀になると、どの国も十二、十三歳になっている。
日本の平均初潮年齢は、明治から昭和初期で十四歳後半、昭和十年を過ぎてやっと十三歳になる。昭和四十年代に入って十二歳になり、その後、今日まで日本の平均初潮年齢は十二歳のままである。
ある大学の研究室が一九六一年(昭和三十六年)から実施している全国初潮調査によると、小学校三年生の既潮率は一%未満と書かれてあった。四年生でも四%に届かない。初潮を迎えるピークは六年生で、次いで中学一年生、中学三年生では九十九%の女子に生理が来ている。
私はその数字に驚きを禁じえなかった。少なくとも私は普通の少女と違う成長をしているということを、静かに受容した。これは、喜ばしいことなのだろうか。