傑作SF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の30周年を記念した、シリーズ関係者への500時間以上ものインタビューをまとめた本『We Don't Need Roads: The Making of the Back to the Future Trilogy』が出版され、知られざる製作秘話が多く明かされたようです。
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そこで今回は、io9がピックアップした『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「信じられない」製作秘話11選をご紹介します。一部ネタバレがありますので、ご注意ください。
1)街にある全スタジオが「上品すぎる」という理由で『BTTF』を拒否した
当時は下品な映画が主流だった?
ロバート・ゼメキス監督は、有名な指導者に頼りすぎていると思われたくなかったからか、スティーブン・スピルバーグ監督の手を借りずに『BTTF』を撮ろうとしていました。
そして、ディズニーを除く全てのスタジオが、1980年代の若者にとって『BTTF』は「甘すぎる」、「上品すぎる」ということで却下されたとか。当時の大ヒットティーンコメディといえば、『ポーキーズ』『初体験/リッジモント・ハイ』『卒業白書』。また、タイムトラベルものと言えば『バンデットQ』や『ファイナル・カウントダウン』『ある日どこかで』といった作品がメジャーだったのです。
ディズニーは他のスタジオとは異なる理由で『BTTF』を拒否しました。過去に戻って母親をキスするという、近親相姦を思わせる映画を受け入れるわけにはいかなかったようです。
2)地球上に存在するほとんどのティーンエイジャーがマーティ・マクフライ候補だった
今でこそ他のマーティは考えられませんが......
製作側は当初からマイケル・J・フォックスをマーティにと考えていましたが、彼はテレビドラマ『ファミリータイズ』に出演していたため、スケジュールが合いませんでした。出演を打診されたフォックスのエージェントは、出演できないにも関わらず、完成度の高い脚本をフォックスに見せるのは残酷だと判断し、本人に読ませることすらしなかったのです。
そこでマーティ役を幅広く探すことになり、ジョニー・デップやジョン・キューザック、チャーリー・シーンの名前も挙がりました。さらには、カナダの歌手でミュージシャンのコリー・ハートのスクリーンテストも行おうとしたそうです(これはコリーから断った模様)。
理想のマーティ探しの壁にぶつかりつつあると感じた頃、編集のアーサー・シュミットがゼメキス監督に、自身が担当した『家族の絆』を見せました。その映画にはクリストファー・コレットとロバート・ダウニー・Jrが出演していましたが、それを見た監督が最初に発した言葉は「どちらの少年もマーティ・マクフライのイメージではない」だったそうです。
3)ドク・ブラウンのペットはチンパンジーで、名前はシェンプだった
この2人が小悪党設定だったというのも意外
マーティ・マクフライは映画の海賊版を作っており、ドク・ブラウンと共に秘密裏にブラックマーケットを運営している設定でした。(それだけでなく、ドクはドクではなくプロフェッサーだったのです)
プロデューサーのシドニー・シャンバーグは、ドク・ブラウンのペットはチンパンジーにするべきではないと主張。というのも、彼はチンパンジーが出てくる映画は成功しないと考えていたのです。
ゼメキス監督は『ダーティファイター』を例に出しましたが、シドは「あれはチンパンジーではなく、オラウータンだ」であると指摘。こういったやりとりがあって、シェンプはアインシュタインという名の犬に変更されたのだそうです。
4)オリジナルの脚本では、タイムマシンはピックアップトラックの後ろという設定だった
デロリアンが登場しなかった可能性も?
さらに、クライマックスは落雷を利用して1985年に戻るのではなく、マーティとドクがトラックを核実験場に持って行き、核爆発を待つという内容だったそうです。しかし、ゼメキス監督とボブ・ゲイルは単に核爆発を待つだけでは面白みが無いと考え、時計塔に落雷~というストーリーに変更したとのこと。
5)エリック・ストルツは役を真面目に受け取りすぎていた
「楽しい映画」だということの重要性
エリック・ストルツがマーティ・マクフライに抜擢され、6週間で降板させられたというのは有名な話。彼の最大の問題は、コメディアンではなかったということ。ストルツは、マーティ・マクフライが愛する人々の過去が書き換えられたり、彼の存在が忘れ去られてしまったりといったことを深く悲しみ、情緒不安定になってしまったのです。
また、ストルツはメソッド演技にこだわる俳優で、現場では「エリック」と呼ばれても返事をせず、全員に「自分のことはマーティと呼ぶように」と主張したのだとか。
さらに、マーティがビフ・タネンを強く押すシーンでは、ストルツが強く押しすぎたためにビフを演じたトーマス・F・ウィルソンの鎖骨にアザが出来てしまったそうです。
6)デロリアン用に特別なスピードメーターを作らなくてはいけなかった
当時の法律が影響
1979年、ジミー・カーター元米大統領は、スピード違反撲滅のために、車のスピードメーターの上限を時速85マイル(約136キロ)までに定めるとする法律にサインしました。
この法律は1980年代に廃止されましたが、『BTTF』が製作されていた時はまだ有効だったため、88マイルに達するデロリアンを表現するために、スタッフはデジタル処理で特別にスピードメーターを作る必要があったそうです。
7)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のタイトルは『スペースマン・フロム・プルート』になりそうだった
危うくとんでもないタイトルに......
シドニー・シャンバーグは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というタイトルでは意味がわからないと考え、嫌っていました。そこで、よりキャッチーなタイトルにすべきだとメモを残し、そこに『スペースマン・フロム・プルート』が良いと提案したそうです(このタイトルは少しアレンジされ、『スペース・ゾンビ・フロム・プルート』となり、マーティ・マクフライが1955年に見たコミックブックのタイトルになっています)。
ゼメキス監督は混乱し、スピルバーグに相談しました。すると彼は「面白いジョークをありがとう。朝からみんな笑って撮影現場に活気が生まれた」とメモで返答。シャンバーグはあまりの恥ずかしさに、あのタイトルが冗談ではなかったと言い出せなかったそうです。
8)『BTTF2』の元々の時代設定は1960年代だった
ヒッピーなロレインも見られたかも?
元々は、スポーツ年鑑を持って1955年に戻るのではなく、ビフは1967年へ行って、フラワーチャイルドのロレイン・マクフライと出会うというストーリーでした。また、ジョージ・マクフライ役のクリスピン・グローバーが出演しなかったため、ジョージは教授になり、遠くのバークレーで教えているという設定になるはずだったそうです。
9)『2』の製作に『1』のプロダクションデザイナーを迎え入れなかった
同じSFの名作でもテイストが全く異なるが故......。
ゼメキス監督は、『2』を作る時に『1』のプロダクションデザイナーであるラリー・ポールを雇わなかったとのころ。というのも、ポールは『BTTF』の後、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』に携わっていたため、その影響から『BTTF2』の2015年を暗くジメジメギラギラしたものにしようと主張するのではないかと懸念し、他の人間を雇ったそうです。
10)マーティ・マクフライの兄はアルコール中毒になる予定だった
堕落する未来は回避
マーティが歪みを正すために1985年へ行き、兄のデイヴィッド・マクフライの元に向かうと、彼は酒浸りのアルコール中毒になっているというシーンが撮影されていました。こちらは未公開シーンとしてDVDに収録されています。
11)未来的なものを作るためのルール
観客の理解のための配慮
2015年の世界を描く上で、デザイナーのジョン・ベルは「15:85ルール」というものを考え出しました。これは、「85年ではお馴染みの外見にも関わらず、存在しない物」というコンセプト。
例えば、ベルはフェデックスのメールボックスをデザインしていますが、一見すると普通のポストでありながらインターフェースがデジタルになっています。こういったルールを元に未来のアイテムがデザインすることで、各アイテムが何であるのかを観客が理解できるようにしたそうです。
いかがでしたか? この他にも『We Don't Need Roads: The Making of the Back to the Future Trilogy』には興味深い『BTTF』ネタがたくさん書かれているようです。
現在のところ英語版しか発売されていないようですが、より深く『BTTF』を理解したい方は手に取ってみてはいかがでしょうか。
[via io9]
(中川真知子)
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