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小原信治さん のコメント

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小原信治
>>3
僕も小学校3年の時には親と出掛けることを拒んでいました。自立するのが早かったというか早く自立したくてしょうがなかったんですよね。親からすると嬉しい反面淋しいものなんですかねえ。
No.6
100ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
    万葉の世において去りゆく季節を惜しむのは春と秋だけだったという。しかし、現代詩の世界では夏もまた消えゆく影を惜しむものとなっている。海へ山へと人々が行動するようになったことで夏が深い記憶を刻む季節になったからだそうだ。     8 月最後の海でビールでも呑もうと、週末の午後、葉山の一色海岸まで散歩した。台風 10 号の接近を予感させる曇空の浜辺はローカルだけで寂寞としている。 皆が眺めているだけの海では忙しさから解放されたライフセーバーたちが今年最後の海を味わい尽くそうと力強く泳いでいる。潮風で体を冷やさぬようパーカーを羽織ると、ビーサンを手に裸足で歩いた。最初は足裏にひんやりと冷たいのに身体の芯にはじんわりとした暖かさを伝えてくれる晩夏の砂が心地良い。灼けるような太陽の記憶を足下の砂までもが惜しんでいるように感じられた。  
草の根広告社
『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と

「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。