記事へ戻る Kuchanさん のコメント Kuchan うちでは大阪だからなのか、時代なのか、はたまた下町の普通の家柄だからなのか、「おとうちゃん」と「おかあちゃん」でした。母は父をいつも「おとうちゃん」と呼んでいて私たちと話すときもそうでしたが、父が母を呼ぶときには名前を呼び捨てで声をかけていました。父も母も私たち子供を呼ぶときには呼び捨てでした。まあ、二人とも大正生まれでしたからね。 時代的にパパ・ママは特別な家庭でしか使われておらず、まわりではそんな呼び方は絶対にできない空気でした。気がついたらいつのまにか外では「父・母・祖母」とかちゃんと言えるようになっていましたが、いまだに姉たちと話すときには「おとうちゃん」と「おかあちゃん」ですし、仏壇の遺影に話しかけるときもそうですね。おとうさん・おかあさんは私の人生にはあまり登場しません。おもしろいですね。 No.5 97ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「呼び名」 友達の前で母親から「しんちゃん」と呼ばれることを拒否するようになったのは何歳の時だっただろう。思えばそれが自立の始まりだったのかもしれない。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
Kuchan うちでは大阪だからなのか、時代なのか、はたまた下町の普通の家柄だからなのか、「おとうちゃん」と「おかあちゃん」でした。母は父をいつも「おとうちゃん」と呼んでいて私たちと話すときもそうでしたが、父が母を呼ぶときには名前を呼び捨てで声をかけていました。父も母も私たち子供を呼ぶときには呼び捨てでした。まあ、二人とも大正生まれでしたからね。 時代的にパパ・ママは特別な家庭でしか使われておらず、まわりではそんな呼び方は絶対にできない空気でした。気がついたらいつのまにか外では「父・母・祖母」とかちゃんと言えるようになっていましたが、いまだに姉たちと話すときには「おとうちゃん」と「おかあちゃん」ですし、仏壇の遺影に話しかけるときもそうですね。おとうさん・おかあさんは私の人生にはあまり登場しません。おもしろいですね。 No.5 97ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「呼び名」 友達の前で母親から「しんちゃん」と呼ばれることを拒否するようになったのは何歳の時だっただろう。思えばそれが自立の始まりだったのかもしれない。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
時代的にパパ・ママは特別な家庭でしか使われておらず、まわりではそんな呼び方は絶対にできない空気でした。気がついたらいつのまにか外では「父・母・祖母」とかちゃんと言えるようになっていましたが、いまだに姉たちと話すときには「おとうちゃん」と「おかあちゃん」ですし、仏壇の遺影に話しかけるときもそうですね。おとうさん・おかあさんは私の人生にはあまり登場しません。おもしろいですね。
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