記事へ戻る naonaonaoさん のコメント naonaonao 間違えて送信してしまいました……↑の続きです(^^;; 毎週エンディングで聴くのが楽しみになっています。 私は、自分の気持ちを言葉にすることも、誰かに「今こういうこと考えてるのかな」とか、 自分の気持ちを覗かれる?わかられてしまう、のも恥ずかしくて苦手で(なにが好きか、とか、そういうことを) 人見知りとか、おとなしいとか、 そんな言葉で済まされるレベルを超えているような気がして、 小学生の頃は、このまま大人になったら入試の面接とか、どうするんだろう? と自分で自分の未来を心配していました(^^;; でも、文章ならその恥ずかしさが そんなになくて、 自分の考えを出したり、 自分という人間のほんの少しを、 周りに理解してもらえる場所を、 「書くこと」に見つけ出せた気がします。 「書くこと」がなければ、 本当に閉ざして生きてきたのかもしれません。 昔より人と話せるようにはなりましたが、 それでも社交性とかそういうのはゼロに近いマイナスくらいのレベルだと思うので、 たぶん色んな人から 「この人なに考えて生きてるんだろう」 と思われてる気はします(^^;; 仲のいい友達と別れた後でも 「あの話、しないほうがよかったかな。 あの話題はもうちょっと伝えたいことがあったんだけど、中途半端になっちゃったなー、 伝えたいニュアンス伝わってないかもなぁ」 と、後悔してしまうことがあります。 手紙やメール、こういうコメントでも、 送った後にそんなふうに思います。 書きながら、考えすぎなのかも……とも思いましたが、 きっと色んな人に多かれ少なかれ 「言えなかったことば」 がずっとどこかに眠っていたり、 伝えられないまま、そっと捨てられているのかもしれないですね。 No.5 96ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「弱虫の金曜日」 情けなくなるぐらい、閉じた人間だ。実際に声帯を震わせ、空気を振動させている言葉は考えていることの百分の一、いや、千分の一くらいだろう。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
naonaonao 間違えて送信してしまいました……↑の続きです(^^;; 毎週エンディングで聴くのが楽しみになっています。 私は、自分の気持ちを言葉にすることも、誰かに「今こういうこと考えてるのかな」とか、 自分の気持ちを覗かれる?わかられてしまう、のも恥ずかしくて苦手で(なにが好きか、とか、そういうことを) 人見知りとか、おとなしいとか、 そんな言葉で済まされるレベルを超えているような気がして、 小学生の頃は、このまま大人になったら入試の面接とか、どうするんだろう? と自分で自分の未来を心配していました(^^;; でも、文章ならその恥ずかしさが そんなになくて、 自分の考えを出したり、 自分という人間のほんの少しを、 周りに理解してもらえる場所を、 「書くこと」に見つけ出せた気がします。 「書くこと」がなければ、 本当に閉ざして生きてきたのかもしれません。 昔より人と話せるようにはなりましたが、 それでも社交性とかそういうのはゼロに近いマイナスくらいのレベルだと思うので、 たぶん色んな人から 「この人なに考えて生きてるんだろう」 と思われてる気はします(^^;; 仲のいい友達と別れた後でも 「あの話、しないほうがよかったかな。 あの話題はもうちょっと伝えたいことがあったんだけど、中途半端になっちゃったなー、 伝えたいニュアンス伝わってないかもなぁ」 と、後悔してしまうことがあります。 手紙やメール、こういうコメントでも、 送った後にそんなふうに思います。 書きながら、考えすぎなのかも……とも思いましたが、 きっと色んな人に多かれ少なかれ 「言えなかったことば」 がずっとどこかに眠っていたり、 伝えられないまま、そっと捨てられているのかもしれないですね。 No.5 96ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「弱虫の金曜日」 情けなくなるぐらい、閉じた人間だ。実際に声帯を震わせ、空気を振動させている言葉は考えていることの百分の一、いや、千分の一くらいだろう。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
毎週エンディングで聴くのが楽しみになっています。
私は、自分の気持ちを言葉にすることも、誰かに「今こういうこと考えてるのかな」とか、
自分の気持ちを覗かれる?わかられてしまう、のも恥ずかしくて苦手で(なにが好きか、とか、そういうことを)
人見知りとか、おとなしいとか、
そんな言葉で済まされるレベルを超えているような気がして、
小学生の頃は、このまま大人になったら入試の面接とか、どうするんだろう?
と自分で自分の未来を心配していました(^^;;
でも、文章ならその恥ずかしさが
そんなになくて、
自分の考えを出したり、
自分という人間のほんの少しを、
周りに理解してもらえる場所を、
「書くこと」に見つけ出せた気がします。
「書くこと」がなければ、
本当に閉ざして生きてきたのかもしれません。
昔より人と話せるようにはなりましたが、
それでも社交性とかそういうのはゼロに近いマイナスくらいのレベルだと思うので、
たぶん色んな人から
「この人なに考えて生きてるんだろう」
と思われてる気はします(^^;;
仲のいい友達と別れた後でも
「あの話、しないほうがよかったかな。
あの話題はもうちょっと伝えたいことがあったんだけど、中途半端になっちゃったなー、
伝えたいニュアンス伝わってないかもなぁ」
と、後悔してしまうことがあります。
手紙やメール、こういうコメントでも、
送った後にそんなふうに思います。
書きながら、考えすぎなのかも……とも思いましたが、
きっと色んな人に多かれ少なかれ
「言えなかったことば」
がずっとどこかに眠っていたり、
伝えられないまま、そっと捨てられているのかもしれないですね。
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