情けなくなるぐらい、閉じた人間だ。実際に声帯を震わせ、空気を振動させている言葉は考えていることの百分の一、いや、千分の一くらいだろう。
草の根広告社
「弱虫の金曜日」
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コメント
コメントを書くおはようございます。
弱虫の金曜日♪いい歌詞ですね。
今年はお子さんが産まれたり、パーソナリティーをしたりと、小原さんにとって変化の年だったのではないでしょうか。
年取ると、新しいことを始めたり変化についていけなくなったりしたりしている自分に気づきます。
慣れなんでしょうかね、煩わしいことから距離をおいてみたり、伝わらなくても我慢したり。
でもきっかけがあれば、それにのっちゃうのもいいのかなと。自分はなかなか変えられないけど、変えられる何かはできるのかと。毎日毎日少しずつでも進んでいる自分になりたいです。
今年一年渋谷のラジオでの楽しいお話やお子さんの誕生をつづった草の根広告者、ありがとうございました。来年もいい年になりますように。
「閉じた自分」「捨てられない小石」よくわかります。『弱虫の金曜日』共感しました。
今年、『ラヴソング』には不意を突かれました。 まさか、吃音をテーマにしたドラマを観ることになるとは思ってもみなかったので。忘れていた宿題を突き付けられた、棚上げにしていた悩みを引きずり下ろされた…そんな感じでした。吃音の描き方があまりにリアルで昔の記憶も甦り、身に詰まされました。
私の吃音は佐野さくらよりも症状的には軽かったのでしょう。いつの間にか言いにくい言葉は避け、言いやすい言葉に置き換える術を身に付けていました。言葉を発する際に常に言いやすい言葉を選ぶことを優先する習慣になってしまっています。当然、置き換えがきかない固有名詞は引っ掛かることになりますが。
本来、明るく、どちらかといえば積極的な性格であるので、普通に会話している限りは吃音だと気づかれず、人前でスピーチすることになり、逃れるのに要らぬ苦労をする…それでもカミングアウトは考えませんでした。もちろん、気づいている人は気づいていると思います。吃音を自身で認識してから半世紀近く経つのに『ラヴソング』を観ながら、こんなにも動揺するのは、これまで吃音ときちんと向き合ってこなかったツケだろうと感じました。
小原さんがBROS.TVで何気なくカミングアウトされたときは、驚きました。全く気づかなかったので。渋谷のラジオも時々聴かせていただいていますが、自然でいい感じです。同じ悩みを抱えている人が少なからずいることがわかっただけでも心強く感じました。
頭に浮かんでる言葉がすんなり口から出てこない…そんなもどかしさと長年付き合ってきて思うのは、これもバランスなのかもしれないということ。言えなくて悔しいこともあったけれど、言えなくて良かったと思うこともなかった訳ではない。この性格で口が達者だったら、とっても嫌な人間になっていたかもしれない。吃音を抱えていることで、人の痛みも少しはわかるかも。
これから先も積極的にカミングアウトすることはないかもしれませんが、話の流れでさらっと言ってしまうこともあるかもしれません。
長々と申し訳ありません。小原さんに甘えて、長年の宿題を片付けた気になりました。
ありがとうございました。
来年もご活躍をお祈りしております。
このうた、初めて聴いたとき、歌い出しの歌詞に惹きつけられました。
毎週エンディングで聴くのが
間違えて送信してしまいました……↑の続きです(^^;;
毎週エンディングで聴くのが楽しみになっています。
私は、自分の気持ちを言葉にすることも、誰かに「今こういうこと考えてるのかな」とか、
自分の気持ちを覗かれる?わかられてしまう、のも恥ずかしくて苦手で(なにが好きか、とか、そういうことを)
人見知りとか、おとなしいとか、
そんな言葉で済まされるレベルを超えているような気がして、
小学生の頃は、このまま大人になったら入試の面接とか、どうするんだろう?
と自分で自分の未来を心配していました(^^;;
でも、文章ならその恥ずかしさが
そんなになくて、
自分の考えを出したり、
自分という人間のほんの少しを、
周りに理解してもらえる場所を、
「書くこと」に見つけ出せた気がします。
「書くこと」がなければ、
本当に閉ざして生きてきたのかもしれません。
昔より人と話せるようにはなりましたが、
それでも社交性とかそういうのはゼロに近いマイナスくらいのレベルだと思うので、
たぶん色んな人から
「この人なに考えて生きてるんだろう」
と思われてる気はします(^^;;
仲のいい友達と別れた後でも
「あの話、しないほうがよかったかな。
あの話題はもうちょっと伝えたいことがあったんだけど、中途半端になっちゃったなー、
伝えたいニュアンス伝わってないかもなぁ」
と、後悔してしまうことがあります。
手紙やメール、こういうコメントでも、
送った後にそんなふうに思います。
書きながら、考えすぎなのかも……とも思いましたが、
きっと色んな人に多かれ少なかれ
「言えなかったことば」
がずっとどこかに眠っていたり、
伝えられないまま、そっと捨てられているのかもしれないですね。
>>1
いい歌なんですよ。二回り以上年下なんですけど、天野花さんの歌にはいつも心の中の何かをさり気なく掴まれています。
>>2
ありがとうございます。自分でそうだと認めるのは実はとても勇気のいることなんですよね。認めたからと言って直るものでもないですし。でも「何が悪いんだ」と開き直ることで少しだけラクになれたような気がしました。
>>5
おっしゃるように誰もが少しずつ人見知りだし、閉じているし、「伝えられなかった言葉」をゴミ箱に捨てているんだと思います。他人が何を伝えられなくて、何を捨てたのかに気づいてあげられる人になりたい、人でいたいと思います。