記事へ戻る hiroeさん のコメント hiroe 阪神大震災、あの日私は高校生でした。センター試験の翌日でした。5:45経験したことのない縦横の激しい揺れ。時間が経つにつれてメディアで明らかになる崩れた焼けた神戸の街。今でもまだあの日の出来事が昨日のように蘇ってきます。 都市の危弱性を目の当たりにした日でもありました。 自然とあるいは地球と向き合って生きること、20年超経った今、改めて考えなければならないなと思う1日阪神大震災の日でした。 No.2 84ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「みんな、きがついた。やっと、きがついた。」 1997年に書いた連続ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』のキャッチコピーだ。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
hiroe 阪神大震災、あの日私は高校生でした。センター試験の翌日でした。5:45経験したことのない縦横の激しい揺れ。時間が経つにつれてメディアで明らかになる崩れた焼けた神戸の街。今でもまだあの日の出来事が昨日のように蘇ってきます。 都市の危弱性を目の当たりにした日でもありました。 自然とあるいは地球と向き合って生きること、20年超経った今、改めて考えなければならないなと思う1日阪神大震災の日でした。 No.2 84ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「みんな、きがついた。やっと、きがついた。」 1997年に書いた連続ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』のキャッチコピーだ。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
都市の危弱性を目の当たりにした日でもありました。
自然とあるいは地球と向き合って生きること、20年超経った今、改めて考えなければならないなと思う1日阪神大震災の日でした。
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