記事へ戻る 悠里さん のコメント 悠里 噛まれてばかりだと噛まれ損だ…と思いたくなる気持ちも分かります。だけどどうかそんな風に思わないでください。ブログを読んでいるとつむぎちゃんより月齢が小さい子ども達が多い様に感じたのですが月齢が小さいとただ目の前に手があったから…と、特に理由という理由ではない状況で噛む事もあるのは確かです。もちろん大人も配慮は必要だと思うので側で様子を見ているのですがほんの一瞬で噛まれてしまう事もあり、ご心配をおかけしてすみません…とお伝えする事しか出来ません…。 また、月齢の小さい子達に限らず同じグループの子ども達は自分の世界を広げようとして楽しそうな事をしているつむぎちゃんに吸い寄せられてそばにいるのかもしれません。周りの子にとってはつむぎちゃんが新しい世界を見せてくれる存在なのだと思います。そうすると同じことをしたい、使ってる物を使いたい!と目の前の手をどかそうと噛む…。 噛まれた側の痛みや心の傷みは簡単に消えるものではないかもしれません。様々な対応の仕方はあるかと思うのですが、私は噛んだ相手が小さくても噛まれた子の傷みを伝える様にはしています。でも噛んだ子を一方的に悪者にはしたくないのが保育士目線です。理由がある事は伝えたい。だから『○○だったから噛んじゃったんだって。でも、噛まれたら痛いよね…まだ痛い?よぉし!痛いの痛いの飛んでいけー!』と飛ばしたり『痛いのを丸めてお団子にして食べてあげる!』と食べちゃったりしています。すると他の子も来て、食べてあげるー!とか、痛いの飛んでけー!と一緒にやってくれて、いつの間にか笑顔になっている事も多いです。そういう事を繰り返しているうちに自分ではない誰かが噛まれた時などに心配そうにそばに行き、同じことをやってあげている姿もあります。 噛まれた時の噛まれた子の心のわだかまりをどうやって側にいる保育士が少しでも無くすのかは保育士の腕にかかっているのかもしれません。 No.1 67ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「乳幼児の噛みつきは本当にコミュニケーション手段なのだろうか」 乳幼児の噛みつきは本当にコミュニケーション手段なのだろうか。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
悠里 噛まれてばかりだと噛まれ損だ…と思いたくなる気持ちも分かります。だけどどうかそんな風に思わないでください。ブログを読んでいるとつむぎちゃんより月齢が小さい子ども達が多い様に感じたのですが月齢が小さいとただ目の前に手があったから…と、特に理由という理由ではない状況で噛む事もあるのは確かです。もちろん大人も配慮は必要だと思うので側で様子を見ているのですがほんの一瞬で噛まれてしまう事もあり、ご心配をおかけしてすみません…とお伝えする事しか出来ません…。 また、月齢の小さい子達に限らず同じグループの子ども達は自分の世界を広げようとして楽しそうな事をしているつむぎちゃんに吸い寄せられてそばにいるのかもしれません。周りの子にとってはつむぎちゃんが新しい世界を見せてくれる存在なのだと思います。そうすると同じことをしたい、使ってる物を使いたい!と目の前の手をどかそうと噛む…。 噛まれた側の痛みや心の傷みは簡単に消えるものではないかもしれません。様々な対応の仕方はあるかと思うのですが、私は噛んだ相手が小さくても噛まれた子の傷みを伝える様にはしています。でも噛んだ子を一方的に悪者にはしたくないのが保育士目線です。理由がある事は伝えたい。だから『○○だったから噛んじゃったんだって。でも、噛まれたら痛いよね…まだ痛い?よぉし!痛いの痛いの飛んでいけー!』と飛ばしたり『痛いのを丸めてお団子にして食べてあげる!』と食べちゃったりしています。すると他の子も来て、食べてあげるー!とか、痛いの飛んでけー!と一緒にやってくれて、いつの間にか笑顔になっている事も多いです。そういう事を繰り返しているうちに自分ではない誰かが噛まれた時などに心配そうにそばに行き、同じことをやってあげている姿もあります。 噛まれた時の噛まれた子の心のわだかまりをどうやって側にいる保育士が少しでも無くすのかは保育士の腕にかかっているのかもしれません。 No.1 67ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「乳幼児の噛みつきは本当にコミュニケーション手段なのだろうか」 乳幼児の噛みつきは本当にコミュニケーション手段なのだろうか。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
また、月齢の小さい子達に限らず同じグループの子ども達は自分の世界を広げようとして楽しそうな事をしているつむぎちゃんに吸い寄せられてそばにいるのかもしれません。周りの子にとってはつむぎちゃんが新しい世界を見せてくれる存在なのだと思います。そうすると同じことをしたい、使ってる物を使いたい!と目の前の手をどかそうと噛む…。
噛まれた側の痛みや心の傷みは簡単に消えるものではないかもしれません。様々な対応の仕方はあるかと思うのですが、私は噛んだ相手が小さくても噛まれた子の傷みを伝える様にはしています。でも噛んだ子を一方的に悪者にはしたくないのが保育士目線です。理由がある事は伝えたい。だから『○○だったから噛んじゃったんだって。でも、噛まれたら痛いよね…まだ痛い?よぉし!痛いの痛いの飛んでいけー!』と飛ばしたり『痛いのを丸めてお団子にして食べてあげる!』と食べちゃったりしています。すると他の子も来て、食べてあげるー!とか、痛いの飛んでけー!と一緒にやってくれて、いつの間にか笑顔になっている事も多いです。そういう事を繰り返しているうちに自分ではない誰かが噛まれた時などに心配そうにそばに行き、同じことをやってあげている姿もあります。
噛まれた時の噛まれた子の心のわだかまりをどうやって側にいる保育士が少しでも無くすのかは保育士の腕にかかっているのかもしれません。
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