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噛まれてばかりだと噛まれ損だ…と思いたくなる気持ちも分かります。だけどどうかそんな風に思わないでください。ブログを読んでいるとつむぎちゃんより月齢が小さい子ども達が多い様に感じたのですが月齢が小さいとただ目の前に手があったから…と、特に理由という理由ではない状況で噛む事もあるのは確かです。もちろん大人も配慮は必要だと思うので側で様子を見ているのですがほんの一瞬で噛まれてしまう事もあり、ご心配をおかけしてすみません…とお伝えする事しか出来ません…。
また、月齢の小さい子達に限らず同じグループの子ども達は自分の世界を広げようとして楽しそうな事をしているつむぎちゃんに吸い寄せられてそばにいるのかもしれません。周りの子にとってはつむぎちゃんが新しい世界を見せてくれる存在なのだと思います。そうすると同じことをしたい、使ってる物を使いたい!と目の前の手をどかそうと噛む…。
噛まれた側の痛みや心の傷みは簡単に消えるものではないかもしれません。様々な対応の仕方はあるかと思うのですが、私は噛んだ相手が小さくても噛まれた子の傷みを伝える様にはしています。でも噛んだ子を一方的に悪者にはしたくないのが保育士目線です。理由がある事は伝えたい。だから『○○だったから噛んじゃったんだって。でも、噛まれたら痛いよね…まだ痛い?よぉし!痛いの痛いの飛んでいけー!』と飛ばしたり『痛いのを丸めてお団子にして食べてあげる!』と食べちゃったりしています。すると他の子も来て、食べてあげるー!とか、痛いの飛んでけー!と一緒にやってくれて、いつの間にか笑顔になっている事も多いです。そういう事を繰り返しているうちに自分ではない誰かが噛まれた時などに心配そうにそばに行き、同じことをやってあげている姿もあります。
噛まれた時の噛まれた子の心のわだかまりをどうやって側にいる保育士が少しでも無くすのかは保育士の腕にかかっているのかもしれません。
我が家の息子も保育園の頃から特定の友達に噛まれたり引っ搔かれたりしました。そのたびに先生は親御さん達に誤っていましたが、本来はその子の親が謝罪すべきではないかと思っていました。もちろん観察・監督が行き届かなかったとの責任からの保育者の謝罪ではありますが、噛みつく子の保護者から誤られたことはありませんでした。
その子は小学校に行っても暴力や噛みつくことは無くならず、私は「無抵抗なあなただから甘えているの。だから近づいてきたら逃げなさい」と教えるしかありませんでした。結局言語が発達してきても、噛むことでコミュニケーションを取ろうとしているのは幼いころだけで、そのまま年を重ねていくとただ単にフラストレーションの吐き出しの手段になるのではないかと思いました。結局噛まれた息子の肩には今も噛み千切られかかった傷あとがくっきりと残っています。
保護者は幼いから許して欲しいなどと甘えたことを思わずに、正しいコミュニケーションを子供にわかるように教えてゆくべきだと思います。
>>1
心のわだかまりは噛まれた子供だけでなく、むしろ子供を噛まれた親の方にいつまでも残るんじゃないかなと読んでいて感じました。どちらにせよ難しい問題ですね。
>>2
肩に残る傷跡。忘れたいのに忘れられないですよね。やり場のない気持ちをどう昇華させるのか考え続けることが大切なんじゃないのかと思っています。