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はなこさん のコメント

おはようございます。

私も、自分の中にあるこの気持ちは「愛している」という言葉ではすくいあげきれない、と感じたことがあります。自分の愛が大きすぎる、という意味ではなく、しっくりこない、という意味で。

それに、「愛している」という言葉に相当するような自分の気持ちを、当事者以外に向かって表現する必要はないし、当事者には、行動で伝えればよいのでは、と思います。言葉では、いくらでも嘘がつけますから。

昔、大学の授業で習ったことを思い出しました。
日本にキリスト教が伝わった頃、「神の愛」という言葉は「でうすの御大切」と訳されていたそうです。その当時の日本では「愛」という言葉は「性愛」という意味で多く使われていたから、というのがその理由だとか。

「御大切」。私には、「愛している」よりも、この言葉のほうがしっくりきます。

できれば小原さん、人生の最期の瞬間に、「愛していた」と、その愛を完了させないでください。「愛している」と、未来への進行形でお願いします、ぜひ。

長々とすみませんでした。
No.1
64ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 いつも書きたいことがあって書き始める。途中まで筆を進めて、書くべきではないと感じるときもある。書かないと決めていること。ここでは書けないこと。それでも今、書いておきたいこともある。だから、こんな風に書き直してみようと思う。   愛している、ということについて。  
草の根広告社
『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と

「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。