いつも書きたいことがあって書き始める。途中まで筆を進めて、書くべきではないと感じるときもある。書かないと決めていること。ここでは書けないこと。それでも今、書いておきたいこともある。だから、こんな風に書き直してみようと思う。
愛している、ということについて。
いつも書きたいことがあって書き始める。途中まで筆を進めて、書くべきではないと感じるときもある。書かないと決めていること。ここでは書けないこと。それでも今、書いておきたいこともある。だから、こんな風に書き直してみようと思う。
愛している、ということについて。
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コメント
コメントを書くおはようございます。
私も、自分の中にあるこの気持ちは「愛している」という言葉ではすくいあげきれない、と感じたことがあります。自分の愛が大きすぎる、という意味ではなく、しっくりこない、という意味で。
それに、「愛している」という言葉に相当するような自分の気持ちを、当事者以外に向かって表現する必要はないし、当事者には、行動で伝えればよいのでは、と思います。言葉では、いくらでも嘘がつけますから。
昔、大学の授業で習ったことを思い出しました。
日本にキリスト教が伝わった頃、「神の愛」という言葉は「でうすの御大切」と訳されていたそうです。その当時の日本では「愛」という言葉は「性愛」という意味で多く使われていたから、というのがその理由だとか。
「御大切」。私には、「愛している」よりも、この言葉のほうがしっくりきます。
できれば小原さん、人生の最期の瞬間に、「愛していた」と、その愛を完了させないでください。「愛している」と、未来への進行形でお願いします、ぜひ。
長々とすみませんでした。
いろんな考え方がありますね。