記事へ戻る hiroeさん のコメント hiroe あっという間に25年が経ちました。被害はなかったもののあの震災を経験した私。世の中にその経験が還元出来ていない現実があります。 震災発生当初、廃墟のようになった神戸。今、その時のことがなかったかのようにビルが立ち並び、たくさんの観光客が来る街に戻っています。未来に向かって日々歩んできた積み重ねが今の神戸なのだと思います。 No.1 58ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「非日常がどれだけ続いても日常になることはないのだけれど」 25 年か、と溜め息をついた。 25 年前、ぼくは 25 歳だった。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
hiroe あっという間に25年が経ちました。被害はなかったもののあの震災を経験した私。世の中にその経験が還元出来ていない現実があります。 震災発生当初、廃墟のようになった神戸。今、その時のことがなかったかのようにビルが立ち並び、たくさんの観光客が来る街に戻っています。未来に向かって日々歩んできた積み重ねが今の神戸なのだと思います。 No.1 58ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「非日常がどれだけ続いても日常になることはないのだけれど」 25 年か、と溜め息をついた。 25 年前、ぼくは 25 歳だった。 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
震災発生当初、廃墟のようになった神戸。今、その時のことがなかったかのようにビルが立ち並び、たくさんの観光客が来る街に戻っています。未来に向かって日々歩んできた積み重ねが今の神戸なのだと思います。
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