ここ数日、原稿の締め切りに追われ、ひたすら自宅でパソコンに向かっている。数時間おきに強ばった身体をほぐすためにベランダで海を見ながら背伸びをするのと、1時間ほど日課のランニングをする以外は外に出ていない。そんなランニングの最中、ふとあることに気づいた。それはここ数日間、1円もお金を使っていないことだ(とはいえパソコンや照明器具などの光熱費が日割りであるので厳密に言うと1円も使っていないわけではないけれど)。そもそもこの海辺の町では必要最低限なもの以外にお金を使える場所が限られている。結局、喉が渇けば自分でお茶やコーヒーを淹れたり、お腹が空けばごはんを炊いておむすびを握ったり、畑で採ってきた常備菜と養鶏場の卵でオムレツなんかを作ったりする。 
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 これが都会ではそうは行かない。原稿を書きながら遊牧民のようにカフェを何軒もハシゴする。お腹が空けば手軽に食事のとれる店や出来合いのものを売っている店が選べないほどあって、何枚もの千円札を瞬く間にレシートに変えることができる。都会にいるときはもはや無意識に近い出費だけれど、田舎にいると同じ出費でも小さな罪悪感を抱いてしまうのは、たとえば全国チェーンの店での出費はその多くが東京にある企業と投資家の利益になるだけで、地元にはほとんど残らないことを強く実感させられるからだろう。無責任な消費がシャッター通りを生む原因であることに気づいたからだろう。そしてお金を使うことで地球上のどこかから限りある何かを奪っていることを学んだからだろう。ここで暮らすようになってからは、なるべく「本当に必要なものだけ」を地元の店で買うことが多くなった。

 何年か前に1年間お金を使わずに生活する実験をしたイギリスの若者が書いた『ぼくはお金を使わずに生きることにした』という本が話題になったけれど、「無駄なものを買わない」というのは、たとえ数日でもやってみると案外気持ちがいい。たとえば禁煙することでごはんをおいしく感じたり、何日か禁酒することで睡眠の質が上がったり、というのと似たようなものだ。たぶん、僕らは消費することで心まで疲弊しているからかもしれない。そして使うのを少しだけ踏みとどまってみることで、本来あるべきお金の役割や使い方に改めて気づかされる。「モモ」や「はてしない物語」で知られる作家ミヒャエル・エンデの言葉を借りるならば、
「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金である」
 そのお金を使うことで「誰が豊かになるのか」「何を奪っているのか」を明確に意識できるようになる。

 誰もがもうとっくに気づいているけれど、今の消費社会は過剰だし異常だ。それはゴミを捨てる費用が右肩上がりに増えていることでも明らかだ。モノを買うのに金を払い、それを捨てるのにも金を払い、それで得られる幸せや満足感は果たしてどれほどのものだっただろうと誰もが少なからず考える。でも誰にも止められない。誰も止める方法を知らない。権力者が支持率を回復させる魔法の呪文「経済を成長させる」為には次々と新しいものを生産して、宣伝して、販売して、消費させなければならないからだ。そうやって株価を上げ続けなければならないからだ。でも、その一方で、多くの人が気づいている。今、僕らが抱え込んでいる様々な問題は、もはや大量生産と大量消費で株価を上げるという対症療法じゃどうにもならないレベルまで追い詰められてしまっていることに。
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Buy Nothing Day(無買の日)という非公式の記念日がある。1992年にカナダで始まり、草の根的に世界64ヶ国に広まっている国際的なムーヴメントだ。1年に1度、不必要なものを買わないことで貨幣経済や消費文化の在り方について考えようというメッセージが込められている。日本では毎年11月の最終土曜日に行われているそうだ。

 そんな記念日までまだ1ヶ月ほどあるけれど、僕は今日もBuy Nothing Dayだった。それでも夕暮れ時に海沿いを走るだけで、とても豊かな気持ちになれる。海はFree(無料)だ。そして海はFreedom(自由)だ。そんな海の豊かさを体中で感じながら走り続ける。左の頬に夕焼けの温もりを感じる。潮の匂いがする。目に映る波光、水平線の向こう側、のんびりと流れる雲、風と遊ぶ秋の草木。そういえば道沿いには都会に溢れている広告がほとんどない。これもまた五感が研ぎ澄まされる理由なのだろう。
 
 ならば、といつも走りながら聴いている音楽も止めてみた。ヘッドフォンを外して、また走り出す。規則的な息づかいとアスファルトを踏みしめる僕のリズムに乗って、さざ波のやさしい音が聞こえた。ぴゅーと鳴くとんびのはばたきが聞こえた。ふいに、134号線を走る車の往来が消えた。風の歌が聞こえた。冬の訪れが近いことを告げる、木枯らしの歌だった。

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