記事へ戻る Kuchanさん のコメント Kuchan 秋と夕暮れ・・・どちらも人生にたとえられますよね。人生の終焉が冬または夜だとしたら、その終焉に向かっていく時期が秋と夕暮れ時ということになるので、一層寂しさを感じてしまうのかもしれません。まさに人生の夕暮れ時にさしかかっている自分にとっては、その気分よお~くわかります(笑)。でも決して嫌な気分じゃないんですよ。若いころにはもう絶対戻りたくないし・・・。しばらくは秋の夕暮れの美しさをかみしめてみたいと思います。 No.5 111ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「秋の夕暮れ考」 海と山に囲まれたこの小さな集落で暮らすようになって変わったもののひとつに読書の傾向がある。それは『万葉集』とか『新古今和歌集』など、かつての日本人が詠んだ和歌集を読むようになったことだ。読むといってもページをぱらぱらとめくり、目についた歌を味わう程度だけれど。読むようになった理由は 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
Kuchan 秋と夕暮れ・・・どちらも人生にたとえられますよね。人生の終焉が冬または夜だとしたら、その終焉に向かっていく時期が秋と夕暮れ時ということになるので、一層寂しさを感じてしまうのかもしれません。まさに人生の夕暮れ時にさしかかっている自分にとっては、その気分よお~くわかります(笑)。でも決して嫌な気分じゃないんですよ。若いころにはもう絶対戻りたくないし・・・。しばらくは秋の夕暮れの美しさをかみしめてみたいと思います。 No.5 111ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「秋の夕暮れ考」 海と山に囲まれたこの小さな集落で暮らすようになって変わったもののひとつに読書の傾向がある。それは『万葉集』とか『新古今和歌集』など、かつての日本人が詠んだ和歌集を読むようになったことだ。読むといってもページをぱらぱらとめくり、目についた歌を味わう程度だけれど。読むようになった理由は 草の根広告社 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 » このブロマガへ
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