おはようございます、マクガイヤーです。
正月に休み過ぎてしまったせいで、なかなか社会復帰できず困っております。
前回の放送「古谷実とバケモノ」は如何だったでしょうか?
取材拒否伝説、90年代お笑い文化、ドストエフスキー、バケモノの意味……と、しっかり話せて満足しております。
アシスタントとしてきて頂いた御代しおり先生も大活躍でしたね。
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
○1月20日(土)20時~
「最近のマクガイヤー 2018年1月号」
・時事ネタ
その他、いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
○2月3日(土)20時~
「外来生物vsニッポン」
2017年はヒアリ、『池の水ぜんぶ抜く』、『鉄腕DASH』の「グリル厄介」と、外来生物の話題が盛り上がった一年でした。
そこで、様々な外来生物について紹介すると共に、そもそも外来生物とは何なのか? 外来生物が浸入し、定着することの何が問題なのか? 生物多様性とは何なのか? 遺伝子プールとはどんな概念なのか? ……等々について、解説する放送をお送りします。
「人間もまた自然の一部」という名言を念頭において視聴して頂ければ幸いです。
○Facebookにてグループを作っています。
観覧をご希望の際はこちらに参加をお願いします。
https://www.facebook.com/groups/1719467311709301
(Facebookでの活動履歴が少ない場合は参加を認証しない場合があります)
○コミケで頒布した『大長編ドラえもん』解説本ですが、↓で通販しております。ご利用下さい。
https://yamadareiji.thebase.in/items/9429081
今回のブロマガですが、前回の放送「古谷実とバケモノ」の総括と、少し語り残してしまったことについて書いてみたいと思います。
そうそう、番組でちょっと言及した、映画『ヒミズ』に対して公開当事に抱いた感想をつづった文章は↓になります。
http://d.hatena.ne.jp/macgyer/20120130/1327852218
●古谷作品と実存
古谷実は、確実に漫画史に名を残す漫画家です。
古谷実は95年に『行け!稲中卓球部』で漫画家としてデビューしましたが、『稲中』は一世を風靡しました。オタクの友人もサブカルの知人もヤンキーの知り合いも、全員『稲中』を読んでいました。当時付き合っていた嫁の本棚にまで『稲中』はあったのです。累計発行部数は2500万部といわれています。
なぜそんなにヒットしたのかというと、不条理でも定番でもない中学生ギャグや、90年代芸人文化とシンクロした笑い、口語表現に拘りつつも読まれる文字であることを意識した台詞まわし……等々がとにかく画期的だったからです。(御代さんが仰った通り)古谷実とうすた京介は90年代にギャグ漫画を変えた存在といっていいでしょう。
そんな古谷実がギャグ漫画であることを棄てた『ヒミズ』や、一見すると不条理ホラーもしくはサスペンスにみえる『ゲレクシス』は、『稲中』と全く違う作品のようにみえますが、順を追って読むと連続性があることがよく分かります。
古谷実作品は、どれも実存――ここにこう存在してしまっている自分とは何か、そんな自分が生きなければいけない人生とは何か、孤独と裏表の自由に溢れた人生をどう生きるべきか……といったテーマが扱われています。
「童貞であり駄目人間であり捨て子である自分は他人と決定的に違う」という自意識が、この実存的テーマを増幅しています。前野と井沢と田中は、竹田や木之下のような「普通の人間」とは決定的に違う、ホームレスでありネグレクトされており「捨て子」であるすぐ夫やイトキンや住田は他人とは違う、32歳独身童貞でありハゲであり親の遺産が無ければ暮らしていけないリーダーは他人とは決定的に違う……すべての古谷実作品は、このテーマを一生活者の視点から、手を変え品を変え表現しているといって良いでしょう。
●古谷実と「バケモノ」
古谷作品の多くに「バケモノ」が登場します。
最初に登場したのは二作目である『僕といっしょ』です。
まず、「人生やり直せるリセットボタン」を提示する宇宙人として登場した「バケモノ」ですが、すぐにその正体が分かります。
主人公であるすぐ夫の「夢の中」に皆で潜り込むシーンがあるのですが、そこにすぐ夫と共に件のリセットボタン宇宙人がいます。
また、さまざまな「バケモノ」がおり、後の『ゲレクシス』に登場するゲレクシス化した人間のようなものまでいるのです。
その後、『ヒミズ』や『わにとかげぎす』、『ヒメアノ〜ル』にも「バケモノ」は出てきました。それらは登場人物の脳内世界、意識下の住人――本質に先立つ実存的な不安や恐怖や妄想の反映と考えればすんなりと理解できます。
このような、登場人物その人にしか認識できない「バケモノ」は、「幽霊」や「怪物」のような形で、様々な文学作品に登場してきました。最古のものは先代王の幽霊が登場する『ハムレット』でしょうが、そういえば実存主義の源流といわれるドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』にも「幽霊」や「怪物」が出てきました。
驚くべきは、その表現方法です。
古谷実は『稲中』で前野や井沢や田中とは別に、キクちゃんや田原年彦のような異形のキャラを沢山描いてきました。漫画における作画技術が上がりきった90年代に、絵のみで驚かせたり笑わせたりすることは既に大変な難行でしたが、古谷実は、省略を効かせたコマ割り技術と共に、いとも容易くやってのけました。
「幽霊」や「怪物」といった「バケモノ」が何故恐ろしいのかというと、それが当人にしかみえない不安や恐怖や妄想の反映であり、形をとった存在――「絵」として表現するのが難しいからです。
しかし、キクちゃんや田原年彦を描けた古谷実には「バケモノ」を「バケモノ」として描けた、これはもの凄いことです。
●「バケモノ」との和解とその後
そんな古谷作品ですが、2012~13年に描いた長編8作目である『サルチネス』では、「バケモノ」との和解が描かれます。
当初は毛むくじゃらだったり肉の塊のような姿だった「バケモノ」は、主人公が「自分の人生」をみつけると、おっぱいに変化します。右の乳房と左の乳房が議論しているのをみて、「もまれるもの同士がもめるな」と、「バケモノ」を制したりするのです。
主人公のイノセントな部分を象徴する妹に愛する恋人ができて、幸せの象徴である赤ちゃんを妊娠したりすると、「バケモノ」はタイヤに変化します。そして、「バケモノ」が主人公を祝福しさえするのです。主人公を追い込んだ『ヒミズ』とはえらい違いです。
「おい化け物、どうやらお前はオレらしい」と、これまでは決して言語化しなかった「バケモノ」の正体についてさえ台詞として言及します。
ですが、ここで疑問が沸きます。
古谷実に子供ができたのは2000年、『ヒミズ』の連載前です。果たして、赤ちゃんができただけで古谷実の抱えていた実存的問題は解決したのでしょうか? 13年間何をしていたのでしょうか(13年間、子供ができた意味について考えていた結果なのかもしれませんが)。
「おい化け物、どうやらお前はオレらしい」の後、『サルチネス』の主人公はこう台詞を続けます。
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