おはようございます。マクガイヤーです。
次回ニコ生のために浅野いにお作品を読みまくっているのですが、中々大変です。ていうか辛い。
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
〇5月27日(月)19時~「『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』と浅野いにおのサブカルメンヘラ地獄」(日程が変更になりましたのでご注意下さい)
映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』が5/24に公開されます。2014~2022年に連載された同名漫画作品のアニメ化にして、3/22に公開された『前章』の続編です。映画版は『幼年期の終わり』から続く「人類(女子高生)が宇宙人に試される話」でありつつ、ポスト311を含むテン年代の空気感を反映すると共に、「いま」にも通じる普遍性を得た傑作です。まさか浅野いにお作品を原作として、このような普遍性のある映像作品が生まれるとは思いませんでした。童貞が自身の童貞性にナルシスティックにイジイジじ、出てくるヒロインは全員サブカルメンヘラ女子ばかりという、地獄のような世界から、時代精神と世界精神を反映する傑作が生まれたということなのでしょうか。
そこで、浅野いにおの過去作品を振り返りつつ、原作漫画と映画『デデデデ』双方を解説するようなニコ生を行います。
ゲストとして編集者のしまさん(https://twitter.com/shimashima90pun)をお迎えしてお送り致します。
〇6月9日(日)19時~「『マッドマックス:フュリオサ』とジョージ・ミラーのデス・ロード」
5/31より『マッドマックス:フュリオサ』が公開されます。2015年に公開された『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚であり、フュリオサの若き日を描くスピンオフ映画であるそうです。どう考えても名作です。
そこで、ジョージ・ミラーの過去作を振り返りつつ、『マッドマックス』シリーズ全体を解説するような放送を行います。
ゲストとして編集者のしまさん(https://twitter.com/shimashima90pun)と友人のナオトさん(https://twitter.com/Triumph_march)をお迎えしてお送り致します。
〇6月24日(月)19時~「最近のマクガイヤー 2024年6月号」
お題
・時事ネタ
・『朽ちないサクラ』
・『バッドボーイズ RIDE OR DIE』
・『ザ・ウォッチャーズ』
・『極道恐怖大劇場 牛頭』
・『ULTRAMAN: RISING』
・『蛇の道特捜戦隊デカレンジャー 20th ファイヤーボール・ブースター』
・『チャレンジャーズ』
・『ユニコーン・ウォーズ』
・『告白 コンフェッション』
・『アトラス』
・『関心領域』
・『ミッシング』
・『胸騒ぎ』
・『鬼平犯科帳 血闘』
・『悪は存在しない』
・『無名』
その他、いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています
当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。
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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。
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合わせてお楽しみ下さい。
さて、本日のブロマガですが、先日のニコ生でもお話した『悪は存在しない』と『猿の惑星/キングダム』の共通点について改めて書かせて下さい。
●『悪は存在しない』と『猿の惑星/キングダム』の共通点
先々週末に『悪は存在しない』を、先週末に『猿の惑星/キングダム』を鑑賞したのですが、びっくりしました。『悪は存在しない』と『猿の惑星/キングダム』にほとんど同じシーンがあるのです。構図まで似ています。公開日が近かった二作を連続して観た方の中には、自分と同じ驚きを抱いた方もいるのではないでしょうか。
製作時期からいって、どちらかがどちらかを真似たりオマージュしたりといったことはありえません。同時期に天から同じ様なアイディアが同じ業界のクリエーターの頭の中に降ってきた――大袈裟にいえば、ある種の時代精神を反映したものではないでしょうか。
以下、両作のあらすじを記しつつ、ネタバレに触れます。
●『羅生門』+『ミツバチのささやき』
『悪は存在しない』は山奥の架空の集落「水挽町」を舞台に、グランピング施設を建設しようとする都会人と、環境破壊を危惧する地元民との対立を描いた映画です。
映画はまず地元民、娘の花と二人で暮らすシングルファザーである巧の視点で始まります。巧の仕事は便利屋で、雪解け水を汲んで馴染の蕎麦屋に届けたり、娘の花を学童に迎えに行くのを忘れたりと、豊かな自然を活用しながらゆっくりと生活しているさまが時間をかけて描かれます(巧と花の家を映すだけで、ちょっと前まで母親を含めた三人で暮らしていたことが分かるようにしているところが上手いです)。
そんな集落に東京の企業によるグランピング施設建設計画が持ち込まれす。説明会では、浄化槽の配置の不味さで匠たちが利用している水が汚染されるであろうこと、管理人が24時間勤務しないので山火事が起こるリスクが高いことが判明します。しかも施設を建設しようとする企業の本業は芸能事務所であり、コロナの助成金が目当てのずさんな計画のようです。この地域の住民は全員戦後の農地改革後に移り住んだ余所者であり、きちんとした計画で新たに加わりたいというなら反対する理由はない、故にこの土地の人にとって水や森がどんな意味を持つのかよく考えて欲しい、大切なのはバランスだ――という巧たちの言葉も、あまり通じていなさそうです。説明会は紛糾します。
助成金目当てでやりたい放題なんて許せねぇなあ……などと思いながら観ていると、ちょうど中盤から視点がグランピング施設を建設しようとする都会人側――企業側の担当者である高橋と黛に移ります。彼らは説明会で自分たちの計画が甘かったことに気づいたのですが、コロナで経営が悪化し助成金目当てに新規事業に乗り出そうとする社長とコンサルとの間で板挟みになっていたのです。段々と彼らにも感情移入してしまうことになります。『羅生門』のような、視点を変えることで物語の見方が変わってくる驚きと面白さがあります。
特に、いい意味でも悪い意味でも軽くていい加減な性格の高橋と、真面目故に時に辛辣なことを口走る黛のコンビの描き方が良いです。『悪は存在しない』は濱口竜介作品お馴染みの感情を排したボソボソと喋る会話で貫かれているのですが、高橋だけは情感豊かに台詞を口にするのも最高です。都会の生活に疲れ、グランピング場の管理人になっても良いかな?……と軽い口調だけどそれなりに重そうな気持ちで口にする高橋の、いい加減だけど悪い奴じゃない感じ。自然水で打った蕎麦を食べた後「身体が温まりました!」と迂闊な言葉を口にし、「それ、味の感想じゃないですよね?」とツッコまれる高橋の憎めなさ。映画の前半では匠や花に感情移入しながら観ていたのですが、都会の単館系映画館で『悪は存在しない』を観ている我々は、どちらかといえば高橋や黛に近いことに気づかされる……という見事な構成です。
その後、巧や集落の賢人たちの協力を仰ぎ、落としどころを見つけようとする両者。その過程で花が行方不明になるも、地元民と都会人とが協力することで花を見つけ出し、めでたしめでたし……みたいな、ヨーロッパお芸術映画で始まってウェルメイドな落としどころになるのかなあ、確かに監督が言及していた『ミツバチのささやき』のように、日本の諸問題を一つの集落での隠喩や象徴化で表しているなあ……などと思っていたら、そんな単純な映画に決してしないぞという作り手の意思を感じる結末を迎えるのが『悪は存在しない』の恐ろしいところです。
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