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マクガイヤーチャンネル 第20号 2015/6/22
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土曜日にお送りしました「ヒャッハーだよ!『Fallout特集』」は如何だったでしょうか?
初めて行ったゲーム実況中継の評判がかなりよく、今後も機会があればゲーム実況を行いたいところです。
お楽しみ頂いているマクガイヤーチャンネルですが、今月は三回放送を予定しておりまして、来週6月26日(金)20時から「トランスフォーマー上級編」を放送します。
なんとトランスフォーマーのプロダクトデザイナー大西裕弥さん、トランスフォーマーの熱烈なファンである人気イラストレーター中村佑介さんという豪華ゲストお二人をお迎えしての放送です。
大西さんが開発に携ったトランスフォーマーについての話を入り口に、トランスフォーマーの魅力とは何か、プロダクトデザインに大切なものとは何か、更にはものづくりの真髄とは何か……といったことに迫る二時間になる予定です。
傍目からは歴代トランスフォーマーを三人でイチャイチャしながら変形させるだけの番組になるかもしれませんが、どう転んでも面白い番組になるのは間違いなしです。
「トランスフォーマーって何なんだ?」という人は、以前放送した「トランスフォーマー特集」で予習しましょう!
この夏は他にも幾つか特番を企画中です。ご期待下さい。
さて、「ヒャッハーだよ!『Fallout特集』」でもちょっと話題にしましたが、『マッドマックス』シリーズ27年ぶりの続編、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観てきました。
自分の場合、期待して観に行く映画はだいたいつまらなく感じてしまうことが多いのですが、今回は違いました。
いや、21世紀の世の中で、こんな映画を観ることができるなんて、まるで奇跡のようですよ!
お話自体は「悪者から逃げる話」の一言で説明できてしまうのですが、なにが凄いって、映像が凄いです。
オリジナルな風習や死生観を持つ未来のフリークス部族、しかも部族ごとの特徴がちゃんと違う!
トラックや戦車の上部に高級車のボディを溶接したカスタムカー、大量のスピーカーにギタリストの演奏ステージまで搭載したトラック、同じく大量のトゲトゲや建機アームを搭載したバギーといった、異形のクルマたち。文明が崩壊してるのにV8エンジンがこんなに沢山あってたまるか! というつっこみは野暮というもの。
時に暴力的で、時に幻想的な、荒野や沼地や砂漠といった風景の数々。しかも登場人物の心情とちゃんとリンクしています。
そして、これが一番重要な点ですが、カーアクションにつぐカーアクション! はじめから終わりまで獣のような車が疾走しまくり、半裸の男女が肉体を駆使し、殺しあうことでドラマが描かれる――これが映画ですよ!
本作、細かい部分でよく分からない描写が沢山あります。
マックスのフラッシュバックに出てくる少女はいったい誰なのか(『1』で殺された子供は男子で、しかも赤ちゃんでした)。
砂嵐は強風により裁くの砂が巻き上げられて発生する気象現象なのに、内部で稲妻がビカビカしてるのはおかしいのではないか。
輸送にも戦闘にも役立たないスピーカーとギタリスト搭載トラックをわざわざ連れてきてる意味はなんなのか。
ウォーボーイズたちが口にシュッと吹きつける銀色スプレーは何なのか(おそらく麻薬でしょうが、あんな麻薬みたことありません)。
ウォーボーイズたちの寿命が短い理由は何なのか(おそらく首筋の腫瘍みたいなのが関係しているのでしょう)。
……他にも、つっこみどころをあげればきりがありません。
しかし、それで良いのです。おそらく、監督やデザイナーの頭の中には合理的な説明や設定をしっかり用意しており、説明しようと思えばできるはずでしょう。でも、ウォーボーイズたちが心酔してるオリジナル宗教について台詞で長々と説明する……みたいなことをやってしまったら、映画のテンポや疾走感といったものがすべてブチこわしです。
なによりも、映画というものはキャラクターの心情や世界観や物語といったものを、映像で説明するメディアです。
ニュークスが「今日は最高の日だ!」と叫ぶ時の状況、フュリオサが絶望に打ちのめされる時の背景、女たちがマックスにとる態度の変化、アイコンタクトで交わされる無言の会話……等々、全て意味があり、ドラマに貢献しているのが凄いところです。
だからといって、台詞が重要でないわけではありません。特に本作は台詞が少ない分、練りこまれています。マックスが「狂気」について語る意味、ニュークスが冒頭と終盤で同じ台詞を叫ぶ時の意味の違い……本シリーズが。未来を舞台にしたSF映画でありつつ、「神話的」とよばれたりするのは、伊達ではありません。
しかも本作はゼロ年代初頭から制作の噂が聞こえつつ、イラク戦争やらオーストラリアの経済危機やら大雨で砂漠が花畑になったりやらで、中々実現できなかった作品でもあります。おそらく、監督は十数年間にわたって溜め込まれたアイディアやら欲求不満やらをブチこんだのではないでしょうか。劇中、ぼんやりとした「希望」から、現実的な「目標」の達成に展開が切り替わる展開があるのですが、もしかすると監督が映画を実現するために現実的な選択せざるをえなかったあれやこれやが反映されているのかもしれません。
面白いのは、本作が本質的に「女性の映画」であるということです。
『マッドマックス』といえば、『北斗の拳』に出てくるようなキャラクター(時系列的には逆なのですが)が荒野で「ヒャッハー!」する、女子供にはわからないボンクラ男専用映画……みたいなイメージをお持ちの淑女の方々もおられるかもしれません。そんな方々こそ、騙されたと思って映画を観にいって下さい。