Mythe et poemeさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
1: 2009 年4月5日オバマ大統領はプラハにて演説を行った。核兵器廃絶に向け、歴史的演説と位置づけられた。中身を見てみたい。
・ 今日、焦点をあてる問題は私たちの国の安全保障と世界の平和にとって基本的なものです。 21 世紀の核兵器の未来についてです。
・今日、冷戦は消えましたが、何千もの兵器は消えませんでした。
何千もの核兵器の存在は冷戦の最も危険な遺産です。
・ 20 世紀に自由のために立ち上がったように、 21 世紀にすべての人が恐怖から自由に生きられる権利のために一緒に立たなければいけません。核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、米国は行動する道義的な責任を持っています。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできませんが、リードすることはでき、始めることはできます。
・だから今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安
「おはよう寺ちゃん」ではかなり控えめにコメントされていましたが、これが言いたいことだったんですね。
わたしは、戦争に敗けた国であり、侵略した国である日本が、同時に被爆国であるというこの複雑なありようこそ、世界大戦の何たるかを如実に物語るものだという気がする。
日本の経験は、果てしなく重いということだ。耐えられない程の重さである。
中国には謝罪せねばならない。戦勝国にも降伏せねばならない。
では、無差別大量殺人に対しては???
結果的に経済的繁栄を与えてくれた米国には謝罪を求めない、というのが日本国民の多くの声なき声なのであろう。
それを塩野七生が、なぜか、イタリアくんだりから称賛するという不自然な一こまもあった。
それは見識としては高くはないし、卑しくさえあるが、生きるための方便というなら言えなくもない。
だが、あのピカドンで一瞬に蒸発させられた人の魂は浮かばれまい。
軍部が独走した戦争で命を奪われ、生活を破壊された多くの無辜の民の魂も浮かばれまい。
被爆者二世の方のなかに、米国大統領が広島を訪れてくれたとうれし涙を流した人がいるというが、なぜ「謝罪」のことばなくして許せるのだろうか?
これが交通事故で近親者を殺された家族なら、うれし涙をながすものだろうか?
もう忘れたい。重い思い出や重い恨みから解放されたい、ということなのか。
それはそれでよいと思う。
しかし、それは自分の問題であり、米国大統領の訪問を美化する手助けをすることはなかったと思う。
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