younghopeさん のコメント
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・組織従属主義の打破。
日本の教育を悪くした一つの原因は、一つの組織へ入る事を極めて重視する文化、つまり入口文化である。入学式が大事にされ、落第なしに卒業できる学校、入学試験に合格してしまえば卒業できる大学、就職試験を突破出来れば定年までいられる企業。その典型が入学試験である。
こうした入口文化が顕著になったのは、昭和四〇年頃からである。
一つの組織に入って、そこで人生を終える。
従って、組織の運命と自分の運命を一緒にしてしまう。
組織と個人の運命が背反する時は、他を犠牲にして組織の命運に賭ける。
日本の教育を変えるには、こういう組織従属主義を打破しないとならない。
・一幕二場の人生シナリオ
今の日本が豊かといわれながら、閉塞感が漲っているのは、今の子供達、あるいはその若い親達の考えている人生のシナリオが一幕二場の貧寒なものだからである。
生まれてから二二歳
個人と集団も同じことであり、個人と集団を別物という考えは正しくなく、さりとて、個人と集団が同じものということもできない。この個人と集団をどのように見ていくかによって変わってくる。個人と集団では自ずから集団の力が勝り、個人は集団に従属、包含されるようになっていく。これは、島国日本のように、集団が個人として活動するよりも益が多い場合であり、陸続きの西欧諸国の場合は、集団として活動しても、集団が守れる範囲に限界があり、個人の普段の防衛本能に頼らざるを得ない環境の差が大きいのです。日本は集団となってまとまる傾向が強く働くので、物事を達成するためには、大きな力を発揮し、高度成長を成し遂げた実績を残してもいる。この集団力の欠点は、目標が定まれば大きな力を発揮するが、目標がないと右往左往して漂流状態になる。
一番悪いことは、過去の栄光を引きずることであり、現在も何の根拠もなくして、高度成長に期待し、経済政策を遂行しており、無駄な税金の使い方をしても、政府、日銀に怒りが向かっていかない不条理がまかり通っているといえます。成長にしか、目が向けられないが、江戸時代のように現状の維持継続とという見方が広がる必要性がないか。
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