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なしさん のコメント

はい、以前にも書いたことですが、帝国主義的
領土拡張国家である米国はやたらに他国を軍事
攻撃するのは決してやめないのですが、自国領土
にするのは、もうやっていません。

転機になったのはハワイの占領、併呑だったのでは
ないでしょうか。
ハワイから収奪できるものなど何もなく、米国からの
持ち出しばかり。
軍事の要衝となり、観光地として大成功したので結果
オーライでしたが。

米西戦争でスペインから奪ったフィリピンは保護領に
することもなく放り出しまた。

大成功でした。
フィリピン人を米本土の人々と同様の生活水準に引き上げる
など想像したくもない悪夢でしょう。

中国は米国がとっくに学習済みの事柄をまだよくは知らず、
領土は広い方が良いと考え、毛沢東は内戦勝利の後ですぐに
チベットに進撃し、彼の地を「解放」しました。

チベット人は「われは仏の生まれ変わりである」と称する
ペテン師を崇める前近代的民族なので、これをまともな
暮らしをする近代の民に変ぼうさせるためには莫大な富を
奪われることでしょう。

今頃、中国の首脳はジャマイカをなぜ米国は自国に併合しないのか
とっくに気付いていることでしょう。

できることならいまいましいチベットやウィグルなど
放り出してしまいたいはずです。
もう、そうはいきませんが。

領土拡張のための戦争はもう起きません。
イスラエルだけは別として。
No.3
96ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
平和的手段での平和構築①第二次大戦以降、植民地経営は、抵抗運動や植民地への経済投資の負担で、宗主国にはマイナスの事業となりました(『21世紀の戦争と平和』から)  私は、植民地という問題にかなり早い段階で関心を持ちました。一九六六年に外務省に入省し、その九月から英国陸軍学校でロシア語を勉強しました。この学校では英国の軍人がロシア語やアラビア語を学ぶと同時に、植民地の軍人や傭兵的軍人を教育する場でもありました。グルカ軍やイエーメン軍の将校が私たちといっしょに将校宿舎にいたのです。   一九六〇 年代初め、アラブ連合共和国のガマール・ナセル大統領のアラブ民族主義に触発され、イエーメンで独立運動が勢いを持ちました。 一九六七 年、英国軍隊は 一八三九 年以来の支配を終え、イエーメンから撤退し、南イエーメンの独立が宣言されました。  そして、一九六八年、ポンド切り下げの数週間後、ハロルド・
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。