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younghopeさん のコメント

孫崎さんの、今回のご投稿は、わかる人にはよくわかるが、常日頃、自己を追求しない人には分かりにくいかもしれない。

西欧の庭園を見ても、台湾の故宮博物館で白菜をみても、人間の手による自然美の表現であり、あくまでも一人の人間(複数の場合もある)が、主体である。日本は四季を生かしたり、茶道、剣道、柔道のように、そのものの在り方を重視する「道」を大切にして、誰それという人間が出てこない。物、心が、その場その場、その時その時に表しだす具現化した事実を、一期一会としていとおしむのである。本来は、みる人の知識、経験を生かした「人格」が、政治などを行っていくのであって、究極の視点には「自我」などがない。

安倍首相は、日本を大切に考えているようであるが、森友学園に対する姿勢は、本来の日本、日本人の精神とは真逆であり、日本を愛する一人として見苦しいとしか言いようがない。財務省も、米国から、「ノーパンしゃぶしゃぶ」で、完膚なきまでたたかれ、日本人の気骨が失われてしまったのでしょう。「記録をとっていない」などの子供だましの言い訳が、社会に通じると考えているようでは、法律にとらわれた形式人間になってしまって、法律以前に人間としての生き方が大切なことが分かっていない。法律以前に一人の人間として失格としか言いようがない。官僚だけでなく、社会一般が法律以前の段階、機械化された人間の姿しか浮かび上がってこない。
No.1
93ヶ月前
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オフチンニコフは 1926 年生まれ。ソ連共産党紙プラウダに入社。 1953 年から 59 年まで 北京特派員、 62 年から 68 年まで東京特派員、著書『桜の枝』(新潮社 1971 年)より引用。 ・われわれは自分の眼でみなければならない。そうすれば何故ここに住みついた人々が自然を神格化し、自然を自らの計測器としたかは理解が出来るであろう。そしてこの国においては、画家はもちろんのこと、自然それ自体までもが、例えば海浜の断崖の松、鏡のモザイクのような水田、うす暗い火山湖というものまでが、この国における美の規範に一般に認められた概念に等しいものに従っているということである。 ・一般的に日本人は隣人の中国人同様宗教心に乏しい国民である。中国人の場合、倫理学が宗教の代わりを務めているが、日本人の場合は美しい物への崇拝が役割を果たす。美の信仰こそ、日本人の国民的信仰であったといっても大げさすぎはしないだろう。日本人
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。