りゃんさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
「よど号犯」現在彼らが考えていること:「日野原先生への追慕…一粒の麦、・・・もし死なば」
「かりはゆく」(2017年8月10日号)の一部転載
・7月18日日野原先生の訃報を受け、驚いた。。日野原先生は、人生の師、恩人とも言える方だった。
・強く印象に残っているのは、「(人質)解放後」(日野原氏もハイジャックの人質の一人であった)の羽田空港で記者会見された時の先生の言葉だ。記者の、機内でのハイジャック犯への恐怖体験についての質問に先生は「云やあ、彼らは学生だったからね・・・」と私達が狂暴な犯罪者ではなく理性的な学生だったと記者の誤認をたしなめるような回答をされた.私達からすれば、「よき理解者」というのが強く刻まれた先生の人物像だった。
歳月は流れて、「よど号」ハイジャック闘争三十周年を迎えた二〇〇〇年の春、国内で記念の集会が持たれることになった。「よど号」関係者の話を聞くこ
生まれてから数年もたつと、自分が規範に取り囲まれていることがわかり、反抗することもあります。
が、だいたいハタチくらいまでには、
ある規範には従い、ある規範はやりすごして、全体的には折り合いがつき、落ち着きます。
犯罪は良くないというのは、規範の中でも一等級に大事なもので、ほとんどの人が従います。小さな出来心というのは
あっても、大きな犯罪を犯すことはないまま、たいていの人は一生を終えます。
ハイジャックというのは大きな犯罪です。一方革命のためです。
犯人たちはいちおう規範の問題に直面し、そして革命の方をを選んだわけです。
しかし、彼ら自身が「当時の私達は自分の「大義」のために乗客を死の淵に追いやることに鈍感であった」
と述べているように、あらゆる角度から規範について考え尽くしてそれでも革命を選んだとはいえないわけです。
そんな感じのところに第一の幼児性を私は感じます。
持参していたという「カラマーゾフ」を自分たちでは熟読していなかったのでしょう。
で、今、かれらは「反省」してるみたいです。しかしそうすると革命のほうはどうなったんでしょうね。
まさか、革命と「反省」とが両立するとでも彼らは思ってるんでしょうか。
イスラム国の兵士が聞いたらせせら笑われますよ。
その問題を詰めることなく、今度は「反省」する。しかも「反省」にしては、まだまだ「頭が高い」。ここに第二の幼児性を私は感じます。
私の書き込み読み返していただくとわかりますが、私は、犯人たちを
幼児的であるとバカにはしてますが、「反省」をほめたり、「反省」して良かったなどとは言ってないでしょ。
彼らが日本社会の一員であろうとする限りは、一般人からみれば、ただのガキっぽい老人ですよ。
孫崎さんはじめ、なんか「革命」みたいなことに憧れがある人が、かれらを欲目でみるんだろうとおもってます。
「反省するに遅きは無いと思っています」なんてあなたのコメントは、
規範に従うことへのなんの疑いも葛藤も考察も社会との間の緊張感もなくて、私の書いたことより、
よほど毒にも薬にもならない、つまらない。
もっといえば、くだらないと私はおもいますよ。
ま、こどもにかける言葉としては正しいですけどね 笑。
Post