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p_fさん のコメント

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p_f
ライシャワー著「ザ・ジャパニーズ」では、この頃の日本は都市部と農村部で近代化の進み具合にかなりの落差があり、農村部での教育はせいぜい厳格な忠誠心と順応精神を教え込まれたに過ぎなかったと記している。
多くを占めるこの手のタイプは、議会制度、大企業、個人主義、都市部の自由きままな生活風潮の出現を嫌い、過去のもっと父家長的な指導者たちを思い出していた...こうして日本における民主主義は、外見上の勝利にもかかわらず、欧米におけるようなしっかりした制度的枠組みを持たず、広範な感情的、知的な支持を欠いていた-と。

民主主義が血肉となる前にどんどん工業化が進んだ所為で大衆の奴隷化がより効率アップ。あれよあれよという間に「全体主義の無差別奴隷社会」の出来上がり。それから90年近く経った今では考えられない...どころかもっと悪い。
とあるブログに「人は、情報をコントロールされると、行動をコントロールされる」とあったが、人(民度)の劣化を奨励する一方、人を操作するインフラの進化に拍車が掛かれば、こと日本は「昔歩いた道」を高速でかっ飛ばし、「1984」をいち早くす体現するホンモノの「先進国」になれるのでないか。
No.13
88ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 エドウィン・ライシャワーは 1910 年生まれ。ハーバード大学教授。 1961 年 1966 年、駐日アメリカ大使。著書『日本《過去と現在》』(時事通信社 、一九六七年)からの引用。 ・当時の日本において、国主義的かつ権威主義的な反動が起こったことの裏には、当然ながら数世紀にわたって形成された日本人のある特質があった。ナショナリズムはつねにくすぶり続けており、さして煽りたてずともそれは再び燃え上がったし、幾百年もの武家政治の下にあった日本人は、軍国主義者の主導権主張を唯々としてうけいれた。 ・幾世紀もの間の権威政治におとなしく服していたせいで、たいていの日本人は、再び権威主義を押し付けられることになってもほとんど無関心であった。 ・事実、彼らの多くは、せっかく手に入れた知的・政治的自由にぎこちなさを感じて、むしろもう一度天下り権威のもとで感情的な安住を得たい、とさえ考えていたのであった。封建時
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。